杉並四小、高円寺中、日大二高とずっと杉並区ですね。
実家は高円寺北口銀座商店街で乾物屋をやっていて、家のすぐ裏の空地や路地でよく野球をしました。中学になると野球部に入って、毎日部活帰りに氷川神社に行きました。高円寺中学は杉四のほか3つの小学校から来るんだけど、氷川神社がちょうどみんなの別れ道。『長嶋少年』で主人公のノブオたちが帰りに氷川神社に寄っていたのは自分の体験です。
野球のほかはザリガニ釣り。大宮公園や和田堀の辺りにザリガニがいっぱいいてね。桃園川でもよく遊んだなあ。
それから思い出すのは住み込みさん。子供にとっては初めての近しい他人ですよね。住み込みは当時の商店じゃ当たり前。ウチには三人いました。『高円寺純情商店街』に出た“もりちゃん”が大好きでね。長男のぼくにとっては兄のような感じでね。夏休みの夜、学校のプールにこっそり忍び込んで泳いだり、井の頭公園の鯉を獲りに行ったり。だいたい悪いことでしたが、一緒にした悪さはすごく楽しい体験でした。
その頃、杉四のあの狭い校庭に巨人軍が来たり、商店街の裏にいきなり土俵ができて、当時の行司・式守伊之助さんが指導する相撲教室が始まったりなんてこともあった。何だか無茶苦茶でしたよ。どっちも杉原クリーニングという店のおじさんが仕掛け人。変なおじさんでね。ぼくらが野球していると「ちょっと打たせてくれ」と混ざろうとする。大人なら、数本打ったら子供に交代するものですが何本打っても代わってくれない。中身は子供と同じなんです。自分が好きなことだから無茶な企画も実現できた、すごいパワーですよね。そんな面白い大人がいなくなったね。
高円寺阿波おどりにしても、初めは「高円寺ばか踊り」だったんですよ。自分の街の名前に「ばか」をつけるこのアナーキーさ。それで暗黒舞踏の人がTシャツで踊ってたり滅茶苦茶なの。初めは、毎年これっきり、来年のことは考えない!という突き抜けた青空のような潔さでやっていてね(笑)。決まりもない自由と突き抜けたパワー、何より「高円寺ばか踊り」のネーミングの凄さ。これが高円寺の基本ではないかな。高円寺には何かありますよね。人か土地かわかりませんが、街に“物語”を作ろうとする力を感じますね。
ぼくのところに商店街の名前を「純情商店街」に変えていいか、と来た人たちも同じパワーだと思いますよ。名前にこだわるのでなく「昔住んでた怪しいヤツの書いた小説が売れているから、乗っかって儲けちゃおう」っていうようなパワーはぼくは好きだな。
前に新聞に書いたんですが、高円寺にはある種の「いかがわしさ」があって、これは若い人たちには魅力でね。新しい商売を始めるのに高円寺を選ぶのも、この魅力に惹かれ、自由さや可能性を感じるからでしょう。商店街も今はむしろ若い人たちに引っ張られているんじゃない?シャッター街化する商店街が多い中で、昔からいる地元優先みたいな感覚をとっぱらって、新しい人の意見を取り入れるべきことを高円寺はわかっているんじゃないかな。
ぼくは文学青年ではなかったし勉強もできなかった。自分で文章を書くきっかけは中学2年のときの班ノートです。先生がすごく褒めてくれるのがうれしくてね、本当は班のメンバーが交代で書くのだけれど、全部ぼくが書くようになった。文体が同じだとバレるのでちょっとずつ変えて、先生が喜ぶ内容も考えました。読まれること、褒められることをすごく意識していた。
詩はこの頃、やはり班ノートに書いていました。『高円寺純情商店街』の内容のような詩です。
店の手伝いをするときにはユニフォームを着せられるんですね。大人ではない自分、でもお客さんは店のユニフォームをつけた自分を店の大人と同じ対応を求めてくる。サイズの合っていないブカブカのユニフォームで店番をする自分はいったいなんだろう、と悩んでいたときに「宙ぶらりん」という言葉を見つけた。そのときに「あ、これは詩だ!」と、また「自分はこのままでいいんだ」と思った。
それから楽になりました。もちろんそのあとに次の言葉を見つけなくてはいけないんだけど、そのときはそれでいいと思えた。そのときからずっと宙ぶらりんなのかもしれないけれどもね。
作家としての自分にとって、商人であり俳人だった親父の存在は大きかったですね。親父とぼくは同じものを見ていたわけですが、大人の見方と子供の見方はずいぶん違う。ぼくは親父の股の間から見ていたわけです。『高円寺純情商店街』も親父が書いたらぜんぜん違う話になっただろうな。
『高円寺純情商店街』で直木賞を取ったとき、両親ともすごく喜んでくれた。「正一が仇をとってくれた」って。両親にしたら区画整理にしても(高円寺を)追い出されたわけなので、自分たちの不安な気持ちや苦労した高円寺での話で息子が賞をとったのがよほど嬉しかったようです。ぼく自身はもちろんそんなことは全く考えていないんだけどね。高円寺は懐かしい、今も引きつけられる街です。
ねじめさんの語る少年時代の商店街や高円寺の様子、ご家族のお話はまさにリアル「高円寺純情商店街」で興味は尽きず、作家として自立していくときのこと、現在のお話など、どんどんヒートアップして、時の経過を感じさせないすばらしい時間となりました。またお会いしてぜひもっとお話を聞きたい。失礼を承知で申し上げれば、ねじめさんはすらりと長身でとても格好いいオッサンでした! ありがとうございました。
杉並区制作「杉並ゆかりの文化人」アーカイブ映像集Vol.5では、ねじめさんの人となり、文化芸術活動の足跡や作品にかける思い、未来に伝えたいメッセージを紹介しています。
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▼関連情報
すぎなみ動画>杉並ゆかりの文化人 アーカイブ映像集>詩人・小説家 ねじめ正一さん(外部リンク)
ねじめ正一 プロフィール
作家・詩人。阿佐谷「ねじめ民芸店」店主。昭和23年高円寺生まれ。昭和56年処女詩集『ふ』でH氏賞受賞、過激詩人として注目を集める。平成元年初の小説『高円寺純情商店街』で第101回直木賞受賞。『荒地の恋』で中央公論文芸賞のほか、第4回けんぶち絵本大賞びばからす賞、第15回ひろすけ童話賞など数々の受賞歴があるように、詩、エッセイ、絵本、童話など幅広い分野で活躍中。父は俳人のねじめ正也。実家は高円寺北口銀座商店街(現・高円寺純情商店街)にあった乾物屋。41年乾物屋を廃業し民芸店になるも、47年阿佐谷へ移転。少年時代からの野球好き、熱烈な長嶋茂雄ファンとしても知られる。認知症となった実母の介護を綴った小説『六月の認知の母にキッスされ』を中央公論誌上にて連載中(平成25年4月号より)。