父・巨泉さんとデュエットCDをリリース
阿佐谷在住のジャズヴォーカリスト、豊田チカさん。包容力あるスムースな歌声で、国内外のジャズファンを魅了してきた。2013年に第29回日本ジャズヴォーカル大賞を受賞し、阿佐谷ジャズストリートにも出演するなど、今、ますます活動の幅を広げている。
豊田さんの父は、元・ジャズ評論家でタレントの大橋巨泉さん。そして母はジャズヴォーカル界の大御所・マーサ三宅さんだ。2013年10月には、巨泉さんと一緒に制作したCD『Dream~巨泉withチカ』(24jazzjapan)を発売。父子でデュエットを歌い、六本木のライブハウスで発売記念ライブも行った。今回の取材の際、豊田さんは若き日の巨泉さんと写したスナップを見せてくれた。「2歳くらいの時ですね。当時住んでいた中野区の家の前で撮ったものです。このCDは『80歳になる前に、もう1回歌いたい』という父の希望を叶えたもの。生まれて初めて親孝行できたかな。」
物心ついた時から、ジャズに限らずシャンソン、ポップス、クラシックなど、あらゆるジャンルの歌を聴いて育った豊田さん。4歳でピアノを始めてからは、一日中、母がステージで使う楽譜を弾いて歌っていたと言う。ジャズ一家に育ち、さぞかし将来を期待されていたに違いない。しかし本人談、「ご機嫌で歌っていると、なぜか、ふすまがサーッと閉まって家族が部屋から消えていく(笑)。」なぜだろうと思いつつ、11歳の誕生日に買ってもらったカセットレコーダーで自分の歌を聴いてビックリ!「私、“オンチ″だったんです。」現在の豊田さんからは、想像もつかないが…。「でも歌う事が大好きで、歌ってさえいれば幸せだったので、オンチだからってやめたくないわけですよ。大好きなことをして人が喜んでくれたら、どんなに幸せかと。」
そこで豊田さんは、とにかく歌に挑戦し続けることにした。「10代の頃はフォークバンドでギターを弾いて歌っていました。新宿や六本木のクラブでホステスさんやお客さんが歌う演歌に、ピアノで伴奏をつける弾き語りのバイトもしました。」臨機応変に客のリクエストに応じているうちに、豊田さんは自分のウィークポイントを発見したと言う。「発声法の弱点に気づき、それを克服してからは自由自在に歌えるようになりました。」
歌なら何でも好きという豊田さんだったが、気がつくとジャズの世界に飛び込んでいた。「チャーリー・パーカーやソニー・ロリンズなど、サックス奏者のアドリブを何度も歌で再現して、ジャズのフレーズを自分のものにしていきました。」母・マーサ三宅さんにも実力を評価されてライブに呼ばれるようになり、いつしかプロとしてのスタートを切っていた。
ライブのステージを重ねていた20代のある日、豊田さんを驚かせる出来事が起こる。いつものように六本木のライブハウスで歌っていると、客席にジャズ界の大スターである男性歌手、トニー・ベネットの姿があった。豊田さんは翌日、当時、新宿の歌舞伎町にあった有名なライブハウスに彼の公演を見に行った。「前列で聴いていると、突然トニーさんが『昨日、私は素晴らしい歌手の歌を聴きました。チカ!』と私を客席に紹介してくれたのです。」何しろ、トニー・ベネットと言えばエンターテイメント界の大御所。居合わせた関係者の話題を呼び、初CDを出すきっかけとなった。
34歳で渡米。ニューヨークと日本を往復しながら海外で音楽活動を展開する。2001年、2002年には、アポロ劇場の舞台で歌った。「1997年にクルーズ客船内で開催されたニューポートジャズフェスティバルに出演したときは、長男がお腹にいて、『お腹の大きな日本人のジャズ歌手が歌っている!』と船内で話題になったそうです。アメリカでは、バーブラ・ストライサンドのヴォイストレーナーも務めた故ジャネット・フランク氏に師事し、発声法を学びました。年を重ねても無理なく歌い続けられるのは、その基礎があるから。彼女の教えのおかげと感謝しています。」
その後、三男の出産を機に、一時期は育児に専念。離婚を経て2007年から日本で活動を再開した。育児をしながらライブステージに立つ日々の中で、近年、特に大切にしているのが、東日本大震災後の被災地を応援する活動だ。「震災の時、私はシングルマザーとして3人の男の子を育てている最中でした。地震後、様々な事情から、4ヶ月間息子たちと遠く離れて暮らす日々を経験しました。今も福島では放射線量が高い地域の子供たちは親と離れて県外に避難していたり、避難できない子たちは外遊びも限定されている状況があります。私のような歌を歌うという職業は、衣食住にあまり関係の無い仕事、いわば嗜好品みたいなものです。こんな時に、何かの役に立てなければ、音楽家として生きている理由がありません。だから、被災地の応援活動は、自分のためでもあるんです。」
被災地復興支援ラジオ番組のDJを務め、2013年8月には福島市内で親子ジャズライブを開催。昼間は集まった約50組の親子と楽しく歌い、夜は大人向けのライブで福島のジャズファンと大いに盛り上がった。2014年1月、豊田さんはミニアルバム『両手を広げて~The Joy of Your Birth』(24jazzjapan)をリリースした。被災地、特に福島の人々を励ます目的を込めて制作されたCDだ。
現在、豊田さんは阿佐谷の自宅でジャズヴォーカルの個人レッスン教室を開いている。レッスンは、歌詞の理解のため、その歌の歴史的背景から人種による発音の使い分けまで指導する本格的な内容。遠くは石川県からも生徒がやってくる。
取材の途中、地元の小中学校に通う息子たちが学校から帰ってきた。バイリンガルの息子たちを英語と日本語を交えて出迎える豊田さんは、愛情あふれる表情だ。「ステージで歌う自分も、母親の自分も、どちらも普通の自分。息子たちの通う小中学校ではPTAの活動にも参加しています。」2012年に幼なじみと再婚し、20年以上前に住んだことがあり大好きだった阿佐谷に新居を構えて以来、パワー全開。「ここ阿佐谷は愛する家族と暮らす街です。ママ友や商店街のお付き合いも大切。区民としてもミュージシャンとしても、何かができたら幸せ。」
▼なみすけ公式ブログ「てくてく×なみすけ」「阿佐谷ジャズストリート応援してね!コンサートでウキウキ♪」
-取材を終えて-
数年前、赤坂のライブハウスで豊田さんの歌を聴いたことがある。人を引き付ける笑顔と伸びやかな声、自由自在なアドリブでスキャットを繰り広げる姿は、まさにステージの華。ジャズファンの私としては、今回お会いできて実に幸せな取材となった。とにかく、内からあふれ出る自然なパワーに満ちた方だ。私も一児の母親。くじけることも多い日々だが、息子たちに愛情を降り注ぐ豊田さんの姿を見て、見習いたいと思うことしきり。今度は阿佐谷で豊田さんのライブを聴いて元気をもらいたいと思う。
豊田チカ プロフィール
1961年中野区生まれ。4歳よりピアノを始める。ギター、ピアノの弾き語り、DJ、イラストレーターなどを経てジャズシンガーに。
1989年に初CDをリリース、第6回日本ジャズヴォーカル賞新人賞を受賞。1995年より海外で活動を開始し、ニューポート、モントレーの各ジャズフェスティバル、ニューヨークのアポロ・シアター「A great night in Harlem,'01, '02」に出演。1997年~2003年、世界の子供たちのためのチャリティ活動を主催。その後、育児に専念する期間を経て、2007年より日本を拠点に活動再開。東日本大震災後は福島の子供たちの支援に取り組む。3人の男子の母親。