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愛鳥自伝

上下巻 著:中西悟堂 (平凡社ライブラリー)

詩人として、自然に関する著述家として、また自然保護運動の実践者として、生涯を貫いた中西悟堂さんの自伝。昭和9年、38歳の時、当時の善福寺風致地区(※1)で、日本野鳥の会を創立させるまでの前半生が語られている。「鳥」と「文芸」という二つの道と出会った調布深大寺での禅僧修行時代。僧侶として、また文学者として生きた波乱の時代。すべてを捨て、現在の世田谷区烏山の原野で木食生活(※2)を送った時代。そして善福寺風致地区での活動の時代へ。中西さんの一生を通じた信念の原点と軌跡を知ることができる。戦後、公害・環境破壊問題が深刻な時代、自然保護運動の先頭に立って活動し、関係者の精神的支柱でもあった中西さん。杉並の自然保護運動にも多大な影響を与え続けた方である。野鳥(※3)をはじめ自然に関心のある方はもちろん、現在の杉並に暮らす人々にも推薦したい一冊だ。
おすすめポイント
中西悟堂さんは、烏山で無欲の幸福の境地に至るが、しだいに「無償の行為で社会に参加する道はないものか」と考え始め、昭和4年、烏山から自然豊かな善福寺池の周辺地区(昭和5年に風致地区に指定される地区)に移り住んだ。著述活動とともに、水棲昆虫・淡水魚・昆虫の飼育と観察を続け、さらに、スズメの口移しでの餌付けと放し飼いに成功する。野鳥の放し飼いは次々と成功。西荻窪の町中で野鳥と散歩する中西さんの姿は人々を驚かせた。やがて中西さんは、善福寺風致地区の野鳥の調査に着手する。まず理解すること、そして共生すること。調査はやがて全国へと拡がり、賛同者たちと日本野鳥の会を創立させるに至った。本書を読んで、善福寺風致地区の面影が残る善福寺公園を、中西さんを振り返りながら散策してみてはいかがだろうか。

(※1)風致地区:当時、東京府内には9か所の風致地区(自然保護対象地域)が指定され、このうち現在の杉並区内に当たる地域には和田堀風致地区(49万余坪)と善福寺風致地区(18万2千坪)が存在した。
(※2)木食(もくじき)生活:僧侶の修行のひとつ。 五穀を断ち、木の実や芽だけを食べて暮らすこと。
(※3)野鳥:中西さんが日本野鳥の会機関誌『野鳥』の創刊の際に使用し、その後普及した鳥の呼び方。自然のままの姿の鳥の意味。

DATA

  • 取材:井上直
  • 掲載日:2014年10月06日