内藤さんは、高井戸の農家の生まれ。内藤さんが管理する栗園の一角には、小さな地蔵が建っており、よく見ると、200年前の内藤さんのご先祖さまの墓があった場所だという。
季節、季節の地花が添えられている。大昔から地元で農業を営んでいたことが分かるが、「畑仕事などやりたくなかった」内藤さんには、農作業を手伝ったという記憶すらない。大学では化学を専攻、食品会社に就職して工場の品質管理を行っていた。
転機が訪れたのは、内藤さんが31歳になった1980年のこと。
いきなり実家の家業である農業を継ぐハメになった内藤さんには、農業に関する知識も経験もなく、文字通りゼロからの挑戦になった。
「栽培が簡単そうで、とっつきやすかったから・・」。もちろん、それほど単純な理由ばかりではない。住宅街の中の農地ということもあり、農閑期である冬場に、砂埃が舞って周辺の住民に迷惑をかけるような真似はできない、という配慮もあった。
とはいえ、話は簡単ではない。元々高井戸は、“四谷丸太”という良質のブランド杉の産地として知られ、京の北山杉と並んで、東の四谷丸太と呼ばれた。内藤さんの子ども時代には、見渡す限り周囲に杉林が、1985年(昭和60年)まで広がっていたという。最初に行うべきことは、杉林を開墾し更地にすること。杉林を倒す、太い杉の幹を引っこ抜く、それから手作業での“開墾”仕事は3年にも及んだ。
さていよいよ苗を植える段になるのだが、独学では自ずと限界がある。関係本を読んでも、まったくの素人である内藤さんには理解することができない。思いあまって、栗の産地として知られるつくば市周辺に出かけた。そこで、手入れの良い美しい栗園を見つけると、教えを請うた。栗栽培では何より“剪定と草刈”が大切である。内藤さんにも、その程度の知識はあった。いきなり素人から栗栽培を教えてくれと言われた方も驚いたことだろうが、内藤さんも本気だった。何度も通ううちに、相手もうち解けて、少しずつ指導をしてくれるようになる。
やがては、全国の栗生産地の代表者が集まる「全国栗園経営研究会」にも誘ってもらうまでの関係になった。この会には、生産者だけでなく農業試験場の研究員なども参加しており、栗づくり名人たちから、実践的な知識や技術を教えてもらう絶好の機会に恵まれた。
つくば市は学園都市と呼ぶにふさわしく、学者、研究者、研究熱心な農業関係者が一同に会ってお互いの体験知識を持ち寄るグループが幾つもある場所であった。
いま、内藤さんの栗園には約400本もの栗の木が整列している。収穫期には5トン余の栗の実ができる。栗は日当たりがよく、風通しのよい場所を好む。「これでも多すぎる。良質の栗を得るためには、さらに500~600本程度まで減らす必要がある」ということだが、現在でも、内藤さんの栗は、すこぶる評判が良い。
「特にうれしいのは、隣近所の方が“リピーター”客になってくれたこと」。それも、自宅で食するだけでなく、地方に住む親戚や知り合いに贈ると大評判なのだという。新しい“東京みやげ”の誕生だ。自宅前の直売所を開くと行列ができ、あっという間に売れ切れとなる。実は、内藤さんの栗には秘密がある。
私たちは、栗はとれたてが美味しいと思いがちだが、実際は違う。“氷温保存”といって、零度で保存すると、約2週間後には栗の糖度が5倍以上にもなるのである。早速内藤さんの栗を食べたい! そう思われる方も多いことだろう。しかし、「これ以上お客さんに来られても対応できない」ので、直売所の場所は、残念ながらここでは公開できない。今回のインタビューも、栗園の場所は明かさない、ことが条件である。
「本当に甘くて美味しい栗をつくれるようになったのは、ここ3、4年のこと」という研究熱心な内藤さんのこと。まだまだ世間一般の人にお披露目できない、という自負もあるに違いない。
栗の栽培での楽しみは、「何よりも、四季の変化を感じることのできるところだ」という。春の新芽時、6月には白い愛らしい花が咲き、7月ごろにゴルフボールぐらいの実ができ、8月頃から次第に大きく実り始め、やがて9月に収穫時を迎える。しかし、収穫の終わった後にも、美しい黄色の葉が残り、12月に葉が落ち、冬は枯れ木となる。内藤さんの栗園は、「よく整備されたゴルフ場のグリーンにも負けない」美しさがある、という。
20数年の苦労の末、いまや内藤さんにとって栗は“愛着”を感じさせてくれる対象となったようだ。ちなみに、栗にも様々な品種があり、収穫時も異なる。内藤さんの栗園では、8月下旬から早生栗の「丹沢」が、9月上旬から中旬にかけては中生栗の「利平」や「筑波」、9月下旬から10月上旬にかけては晩生栗「石鎚」が収穫される。この時期になると杉並区シルバー人材センターから、何人ものシニアの方々が助っ人に来る、貴重な人材だ。
ところで、放っておいても栗の実はなる。多くの人はそう考えるだろう。ところが、他の農作物や果樹と同じく、ある意味ではそれ以上に、手入れが大変で重要な仕事になる。栗の天敵といえば、まず虫。だから、栗栽培は完全な無農薬というわけにはゆかない。内藤さんは収穫前の7月から8月にかけて3度だけ、防虫のために少量の農薬を散布する。次の天敵は、「地方ならイノシシなどですが、東京では・・」栗泥棒である。1.5町もの栗園を24時間見回るのは手間だ。
しかし、地域の人たちから贔屓にされて栗栽培をする内藤さんの味方もまた地域の人である。こっそり栗を盗ろうという不逞の輩には、ご近所さんが“一声”かけてくれるのだ。これぞ本当の「ご近所の底力」!
内藤さんの後輩である高井戸小学校の子どもたちが、2002年から2学年の「生活科」の授業の一環として「栗園の収穫見学」に来るようになった。最近の都会の子どもたちは、木に実る栗を知らない、イガに包まれた栗など見たことがない、イガが堆肥になるということも知らない。
内藤さんは栗栽培を始めた頃は、無人店舗で販売していた。訪れる方々が、栗園を写生させてください、床の間に飾るので栗のイガが欲しいとのことだった。それから、栗を題材にした絵手紙ブームで栗園を訪れるサークルが増えてきた。今は、スイーツ・ブームで、栗は素材として人気が高い。
一方、栗の調理法を知る家庭は少なくなる一方だ。柿やリンゴのように、皮をむいたらそのまま食べることができると思っている若い人も少なくない。そこで、内藤さんは栗を販売するとき、レシピも作って一緒に手渡すようにしている。もはや、とれたての栗を使った「渋皮煮」などは、家庭の味とは言えなくなったという時代の流れがある。このように栗ブームは、さらに広がりを見せる。絵手紙教室も開催してみたところ、これまた大好評。作品は直売所に展示されることになった。栗園は地域の緑を守るだけでなく、地域の文化教室的な存在にもなってきた。「次はどんな趣向をこらそうか・・」。内藤さん、“講座”づくりにも興味が湧いてきたようだ。
内藤隆 プロフィール
高井戸西2丁目在住。1980年から20年以上にわたり、1町5反の生産緑地等で栗栽培を行っている。
杉並区農業委員。