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藤原康二さん

「間違って本を作っている」-ミルブックス設立までの軌跡

浜田山の閑静な住宅地の中に、精力的に多種多様な書籍を発行し続けるユニークな出版社がある。会社の名前はミルブックス。小説や写真集、絵本など、ジャンルにとらわれず、永く愛される書籍を手掛けている。主宰の藤原康二(ふじわらこうじ)さんは「私はミルブックスについて聞かれると“間違って本を作っている”とよく言うんですよ。」と語る。
大学卒業後、名古屋の広告代理店に入社。佐藤雅彦さん(※)の仕事に憧れてのことだ。ところが待っていたのは、地をはうような地道な営業、そして自営業のような1から10まで自分がやる仕事。「小さな仕事だとなかなか社内のクリエイターが手を貸してくれない。印刷やグッズの発注など、自分ですべて手配しなければならないんです。ただ、それで今の仕事のノウハウを身に付けることができました。」
やがて、趣味でオリジナル雑貨の制作を開始。ある時、ピンバッチが独立資金を稼げるくらい売れた。そして、知人の作品集を1,000部限定で刷る機会を得る。これがミルブックスのはじまりだ(ミル=milleとはフランス語で1,000の意)。会社設立は2004(平成16)年、「本と雑貨の個人商店のつもりで始めました。」ちなみに浜田山に事務所を構えたのは、吉祥寺と渋谷と新宿に出やすい場所がいいと知り合いに勧められてのこと。「私はよく自転車で移動するのですが、どこにでも程よい距離です。」加えて、落ち着いてデザインに集中できる静かな環境が気に入っていると言う。

※佐藤雅彦:クリエイティブディレクター。当時、CMプランナーとして「バザールでござーる」(NEC)などのテレビCMを手掛けていた

ミルブックス主宰、藤原康二さん。事務所近くの善福寺川緑地にて

ミルブックス主宰、藤原康二さん。事務所近くの善福寺川緑地にて

ミルブックス流 企画の立て方

ミルブックスの本は藤原さん1人で企画を立てている。ただし、藤原さんが頭の中で独り合点して企画を生み出すわけでない。「著者の方は皆、私の友人です。でも本を作るために友人になったのではなく、それまでのたくさんの交流の中で、波長が合い仲良くなった人と、こんな本が作れたらねと長い時間をかけて練っていくんです。」そのため、企画が形になるまで1年はかかる。当然、長い時間練りながらも、いまだ形にならないものも無数にある。
藤原さんはこうも言う。「やがて本は無くなる存在と考えています。今、若い人を中心に、物を買う風潮がなくなってきていますから。」本は無くなるという刺激的な言葉にドキリとしていると、「それでもなぜ本を作るのかと言えば、私にとっては“作品”を作っている感触なんです。」と言葉が続いた。著者と付き合う中で知り得た相手のいい部分をパッケージする作業、それがミルブックスの本作り。「展覧会やイベントに行って著者の世界を体感する、でもその体験をインターネットで伝えるのはなにか違う。展覧会などとネットの間にあるものが“本”ではないでしょうか。音楽でいうとレコードに近いのかな。」

校正紙などの資料。多くの作業を1人で向き合う

校正紙などの資料。多くの作業を1人で向き合う

1つのジャンルに限らない多彩さがミルブックスの本の魅力でもある

1つのジャンルに限らない多彩さがミルブックスの本の魅力でもある

藤原さんのおすすめ その1 『徳島のほんと』

ミルブックスの出版物は実に多種多様。共通点は、そこにあると少し生活が心地よくなる、そんなニュアンスに満ちているところ。その中から藤原さんにおすすめの本を聞くと「“売れている本はなんですか?”と聞かれるより、“おすすめの本は?”と聞かれるとうれしいんですよ。」そう微笑みながら2冊の本を挙げてくれた。
まずは2016(平成28)年発行の『徳島のほんと』。徳島を代表する人気ロックバンド「チャットモンチー」のベーシスト福岡晃子さんと、徳島のコーヒー焙煎(ばいせん)所「アアルトコーヒー」の庄野雄治さんによる徳島案内本。ポケットサイズでビニールカバーも付いたデザインが肝。ビニールカバーの手触りは昔の書籍の装丁を思い起こさせる。また、東京の出版社が徳島の本を作るのもユニーク。「徳島の本を探したら、大手旅行会社のガイドブックしかなくて。」阿波踊り、お遍路さんから徳島ラーメンまで県内のあれこれを案内するだけでなく、絵本仕立ての部分あり、著者2人によるエッセイありと、読み物としても楽しめそうだ。「徳島のいいところはいっぱいある、それを広めたい、伝えたい」という福岡さんと庄野さんの会話から生まれた1冊。

『徳島のほんと』。中身もシンプルな装丁もこだわりにみちている

『徳島のほんと』。中身もシンプルな装丁もこだわりにみちている

藤原さんのおすすめ その2 『猫と五つ目の季節』

2冊目は、2015(平成27)年発行の『猫と五つ目の季節』。猫と音楽家の「僕」の日々を綴った、ミュージシャンの山田稔明(やまだとしあき)さんの自伝的初小説。ストーリーもさることながら、この本の魅力は「文体」だと言う。「著者の山田さんはミュージシャンなだけあって、文章が歌詞のようなんです。」読むと音楽が湧いてくるような文体は、藤原さんと山田さんで何十回も音読し、イメージが違うと思った箇所を直していって完成させた。
「私はどの著者の方にも赤(修正)はバシバシ入れます。でも、お互いに信頼し合っているから、こう見せた方が読者に伝わりやすいよという意志は伝わり合意します。」と藤原さん。まさに信頼関係ありきの本作りである。

『猫と五つ目の季節』。表紙の可愛らしい猫の姿に目を引かれるが、中身はさらに猫への愛が詰まっている

『猫と五つ目の季節』。表紙の可愛らしい猫の姿に目を引かれるが、中身はさらに猫への愛が詰まっている

“この世界にはこんないいものがある”を伝え続ける

出版界は不況にあえぎ、マニュアル本のような分りやすい本ばかりが売れるように感じられる昨今、藤原さんはそのような出版界をどう見ているのだろうか。「ミルブックスの出版物はいわば“なくてもいい本”です。ただ、その1冊があることでどれだけその人の人生が豊かになるかを信じてやっています。人生にマニュアルはないです。他社が作っていない本を生み出そうと闘っている感じですね。」会社設立から12年。売れればなんでもいいという世界からは、藤原さんの足は遠いところに立っている。
最後に藤原さんはこう話を締めくくった。「私はたまたま本を作っているだけかもしれません。“この世界にはこんないいものがある”と伝えるのに、本という手段よりいいものを見つけたら、そっちに移っていく可能性もあります。だから、1年後に会ったら全く違うことをしているかも。」
その瞳は、自分自身が信じる“いいもの”のよき媒体であり続ける覚悟で輝いていた。

取材を終えて
世間の風潮はどこ吹く風、ただ自らと親しい人が“いい”と感じるものを伝えるために動き続ける藤原さん。出版社という雑務の多い仕事のすべてを、一身で背負う困難は想像に難くないが、それを感じさせない快活な話しぶりも印象的であった。藤原さんの生み出す心地よいエネルギーの伝播(でんぱ)は、今日もどこかで誰かを少し、でも確実に幸せにしているのだろう。

藤原康二プロフィール
1974年、愛知県生まれ。筑波大学基礎工学類卒。
広告代理店に7年勤務後、2004年に杉並区浜田山で出版レーベル「mille books(ミルブックス)」を始める。
長く愛される本づくりを目指し、ジャンルにとらわれずさまざまな書籍を出版している。これまでに82冊を出版。
出版だけではなく、雑貨の企画制作、イベント企画、デザイン、アートディレクションなども手掛ける。

人気クリエイター、tupera tupera(ツペラ ツペラ)によるミルブックス10周年記念のイラスト

人気クリエイター、tupera tupera(ツペラ ツペラ)によるミルブックス10周年記念のイラスト

1年後、5年後、10年後…。藤原さんはどこでなにをやっているのか。追い続けたくなる人である

1年後、5年後、10年後…。藤原さんはどこでなにをやっているのか。追い続けたくなる人である

DATA

  • 公式ホームページ(外部リンク):http://www.millebooks.net
  • 取材:ツルカワヨシコ
  • 撮影:TFF
  • 掲載日:2016年03月28日