instagram

森岡督行さん

一冊だけの本を売る書店

阿佐谷在住の森岡督行(よしゆき)さんが店主を務める「森岡書店 銀座店」は、「一冊だけの本を売る書店」として知られており、週替わりで1冊の本と、その本に関わるものの販売や企画展を開催している。銀座1丁目の鈴木ビルという、1929(昭和4)年竣工の東京都選定歴史的建造物(※1)であるビルの1階にあり、広さはわずか約5坪しかない。

森岡さんは90年代後半、東京都中野区にある戦前に建った中野アパートで家賃3万円で暮らし、アルバイトをしながら本と散歩の日々を送った。その後、老舗古書店の一誠堂書店勤務を経て、2005(平成17)年に独立。茅場町で見つけ心がひかれた昭和初期のビルで、現在の店の前身である「森岡書店」を開店した。
また、書店経営のかたわら、開店までの経緯や試行錯誤をつづった『荒野の古本屋』(晶文社)や、写真集『東京旧市街地を歩く』(エクスナレッジ)などを執筆。一誠堂書店で古書の落丁を調べていたときに関心を持った「対外宣伝グラフ誌」(※2)を紹介した『BOOKS ON JAPAN 1931 - 1972 日本の対外宣伝グラフ誌』の著書もある。

※1 東京都選定歴史的建造物:東京都景観条例に基づいて選定される建造物。選定基準は、(1)原則として建築後50年を経過していること。(2)東京の景観づくりにおいて重要なものであること。(3)できるだけ建築当時の状態で保存されていること。(4)外観が容易に確認できること
※2 対外宣伝グラフ誌:対外宣伝(プロパガンダ)を意図する写真を主体とした雑誌

「森岡書店 銀座店」店主の森岡督行さん

「森岡書店 銀座店」店主の森岡督行さん

1929(昭和4)年竣工の鈴木ビル。1階右端の約5坪が店舗(電柱の左側)

1929(昭和4)年竣工の鈴木ビル。1階右端の約5坪が店舗(電柱の左側)

近代建築物に魅せられて

森岡さんは、主に昭和初期に建てられた近代建築物に魅力を感じるそうだ。「振り返ると、アルバイト先は日比谷にあった1934(昭和9)年建築の“東京宝塚劇場”(※3)で、次の勤務先である一誠堂書店のビルは1931(昭和6)年竣工、茅場町の“森岡書店”のビルも1927(昭和2)年建築だった。ようするに古い物が好きなんです」と言う。
森岡さんにとって近代建築物は「どこにいるか不明な空間」なのだという。「日本ではない異国にいるようで、レトロな雰囲気が放つ空間は、過去にいるような気分にもなれる」、そんな感覚が好きなのだそうだ。古い建物を見ていると、「もしここがギャラリーなら、あれを…」とか、「ここを喫茶店にすれば…」などの想像が働く。「森岡書店 銀座店」も、そのような想像による産物であり「物件ありきでした」と話す。しかも鈴木ビルは、写真家の名取洋之助さんが主宰する日本工房(※4)が戦中期に入居していたビルである。『BOOKS ON JAPAN 1931 - 1972 日本の対外宣伝グラフ誌』を出版している森岡さんにとって、ひときわ思い入れがある場所なのである。

※3 2001(平成13)年にリニューアル
※4 日本工房:『NIPPON』という内閣情報部による対外宣伝グラフ誌を1934年から1944年まで発行していた

著書『東京旧市街地を歩く』(エクスナレッジ/2015年発行)。東京都中央区と千代田区を中心とした地域をヨーロッパの旧市街地に見立て、そこに現存する近代建築物の美しいモノクロ写真と文章で構成した写真集

著書『東京旧市街地を歩く』(エクスナレッジ/2015年発行)。東京都中央区と千代田区を中心とした地域をヨーロッパの旧市街地に見立て、そこに現存する近代建築物の美しいモノクロ写真と文章で構成した写真集

杉並区のお気に入りの場所

近代建築物が好きな森岡さんに、杉並のお気に入りの場所はどこか聞くと、「善福寺公園。休日の公園は素敵ですね」という答えが返ってきた。「取材で行った東京女子大学の校舎や浴風会本館の建物もすばらしい」と言う。中央線沿線に点在する書店や西荻窪の飲食店なども気になるそうだ。なかでも、自宅から近い阿佐ケ谷駅北口近くにある「器とcafe ひねもすのたり」は、「工芸ギャラリーあり、カフェあり、旬の食材を使った家庭料理ありで外せないです」とのこと。古いもの好きであるが故に工芸好きでもある森岡さんらしい一押しであった。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 特集>公園に行こう>都立善福寺公園
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>杉並の景観を彩る建築物>浴風会 本館・礼拝堂

都立善福寺公園

都立善福寺公園

「ひねもすのたり」の「おそうざいセット」は、作家ものの漆器や陶器に、野菜を中心とした惣菜と、ご飯、味噌汁のセット

「ひねもすのたり」の「おそうざいセット」は、作家ものの漆器や陶器に、野菜を中心とした惣菜と、ご飯、味噌汁のセット

いくつもの偶然から連なる展開

「森岡書店 銀座店」は森岡さんのこれまでの経験が凝縮された店だ。「一冊だけの本を売る」というアイデアは、茅場町時代の経験がベースになっている。
その頃は、主に古書や写真集を取り扱っていたが、徐々に店舗がギャラリーとして使われることが多くなったと言う。昭和初期の建築物が持つレトロな雰囲気や魅力に、人々が引き付けられたのかもしれない。やがてギャラリーとしての機能が充実し、人が集まる場という役割を担うようになるにつれ、「売るのは1冊の本でもよいのでは?」というアイデアが浮かんだそうだ。本を介しての人と人との出会いから、ビジネスとしての集客ヒントを得たのである。実際、ある1冊の本を見に来た人から、次の新たな1冊を紹介されることも少なくない。「本の選択には、20年近く本の仕事をしているので、データに裏打ちされない経験に基づく野性のカンが働きます。展示や販売したときの、お客さんが喜ぶ姿が目に浮かぶんです」。次に扱う1冊の予定は、いつも半年以上先まで埋まっている。

取材時には、荻窪在住の画家、小村希史さんによる銀座をテーマにした「銀座/ギ ンザ/GIN ZA」が開催されていた

取材時には、荻窪在住の画家、小村希史さんによる銀座をテーマにした「銀座/ギ ンザ/GIN ZA」が開催されていた

1冊の本として、小村希史さんの画集を販売

1冊の本として、小村希史さんの画集を販売

今日は誰と出会えるのかな

森岡書店での人と人との出会いは、本を介さなくても生まれている。
取材中、森岡さんは店内奥に鎮座する木製の引き出しを示しながら、「実はこれ、開店前日に下の2段を切りました。切ってくれた方とは偶然出会ったのです」と笑った。その人は、書店がいつオープンするのか様子を見に来たらしいが、引き出しの高さの収まりが悪く悩んでいた森岡さんに、「これは切った方がいい。切ってあげる」とノコギリを買ってきて代わりに切ってくれたそうだ。後で聞いてみると、その人は家具職人であり建築士だった。「私、10年ぐらい独りでやっているのですが、毎日、今日は誰と出会えるのかな、そういう気持ちを持っているのです。人と人との出会いが化学変化を起こすことがあったり、自分では気づかないところを見てくれる人がいたり、誰と出会えるのかなという意識を持って人と出会うだけでも、恵まれた出会いになります」と森岡さんはいう。
森岡書店 銀座店では、恵まれた出会いやつながりによって、さまざまな可能性が生じているのかもしれない。今後、森岡さんはそれをどんな形に結実させるのか楽しみである。

森岡督行 プロフィール
1974年山形生まれ。2005年より杉並区在住。
神保町の老舗古書店での勤務、茅場町にある昭和初期建築のビルで古書店&ギャラリー「森岡書店」を経て、2015年5月、銀座1丁目に一冊の本を売る店として「森岡書店 銀座店」を開店。
現在は書店経営のほか、工芸や本に関わる展示会の構成やカタログ制作などの活動、ブックセレクション、トークショーなども行っている。

取材を終えて
独特な密度の濃い展示が多い森岡書店。森岡さんの「古いものが好き」という思いと「今日は誰と出会えるのかな?」という心持ちが、結果としていろいろな機会を生んでいる、という話が印象的だった。

偶然の出会いから下2段を切った引き出し。黒電話も実際に利用されている

偶然の出会いから下2段を切った引き出し。黒電話も実際に利用されている

週末には多くの客でにぎわう

週末には多くの客でにぎわう

DATA

  • 住所:中央区銀座1-28-15鈴木ビル
  • 出典・参考文献:

    『荒野の古本屋』(晶文社/2014年発行)

  • 取材:矢野ふじね
  • 撮影:矢野ふじね、TFF
  • 掲載日:2017年07月10日