中野区との境に位置し、医療や社会福祉関連施設が集まる街
中野富士見町
NAKANO FUJIMICHO
駅は中野区に属し、北西側が杉並区になる。東京メトロ丸ノ内線分岐線の駅だが、本線と直通運転しているため都心へのアクセスも良い。東隣は京王バスの車庫で、永福町行きのバスの停留所がある。
駅周辺には店舗などが並んでいるが、その北側には住宅街が広がる。区立和田さくらの坂公園は、静かに花見を楽しめる穴場だ。また、駅前から神田川沿いを西に行くと、左手の中野区側には東京メトロ中野車両基地があり、和田廣橋付近(和田1-7)では善福寺川が合流する風景も見られる。
環状7号線の手前には、立正佼成会の大聖堂が立つ。近くには救世軍が運営する病院などもあり、医療や社会福祉関連の施設が集まるエリアだ。
杉並能楽堂舞台は、狂言大蔵流山本東次郎家に伝存されてきた能舞台。1910(明治43)年に本郷弓町(現文京区本郷)で創建、1929(昭和4)年に和田堀町(現杉並区和田)へ移築再建した。都内に現存する能舞台としては靖国神社の芝能楽堂に次いで古く、2013(平成25)年には、杉並区指定文化財 有形文化財(建造物)に指定された。舞台と見所(観客席)が別棟として建てられたのが、建築的特徴の一つである。
駅近くには個性豊かな飲食店などが見受けられる。店前に客が並ぶ小売店も目を引く。
駅前の本郷通りの北側を中心にした商店街。おおよそ30店舗の大半は飲食店で、次いで小売り食品店が多い。
駅から北へ徒歩約5分。ワダイチタウン商店会の先に東西に長く延びる。杉並能楽堂もあり静けさを感じる商店街だが、例年10月には、ワダイチタウン商店会と合同で、ハロウィーンなどの企画が盛りだくさんの「もりもりフェスタ」を行い、商店街の活性化に努めている。
救世軍は、イギリスでウィリアム・ブースが設立したキリスト教の団体で、日本では1895(明治28)年から活動を開始した。和田1丁目にある「救世軍ブース記念病院」は、杉並区の災害拠点協力病院。前身は、1916(大正5)年に開設された「救世軍杉並療養所」で、1968(昭和43)年に創立者を記念し現在の名称になった。年末に街で見かける救世軍の募金運動「社会鍋」は、俳句の季語にもなっているこの時期の風物詩だ。