文献によれば街路樹は平城京、平安京(!)の時代にすでに都の道沿いに植えられていたという記録が残っています。鎌倉・室町~江戸時代にかけては、時の幕府の威厳を保ち、旅人の快適性を増すため、街道筋へ盛んな樹木の植栽が行われてきました。街路樹が現在のような形態になったのは西洋の文物が流入してきた明治維新後で、1867年横浜の馬車道通りのヤナギとマツが植えられたのが初とされています。
街路樹は植物でありながら、道路法や道路構造令と言う法律で明確に「道路付属物」という地位が与えられています。つまり、道路標識やガードレール、街路灯などと同じように道路になくてはならないものと考えられているのです。
大きく言って次の4点が上げられます。
1.都市の美観向上
街路樹が植わっている都市には潤いがあり、訪れる人の評価も向上します。中杉通りのケヤキが阿佐ヶ谷の繁栄を築いたのかも知れません!
2.公害抑止
道路沿いに植わっている樹木は排気ガスを吸着し、騒音吸収に一役買っています。青梅街道や甲州街道など区内を走る幹線道路には公害軽減のために必ず街路樹が植栽されています。
3.防災
阪神大震災では公園の樹や街路樹が、火災の延焼防止に一定の効果を果たしました。また、建物が道路に倒壊してくることを防ぎ、逃げ道を確保しました。
4.環境保全
日陰をまち行く人に提供し、ヒートアイランド現象の緩和に一役買っています。夏に中杉通りのケヤキの下を歩くとその効果を実感していただけることでしょう。また、都市の中で鳥や昆虫が移動する「生き物の道」ともなっています。
都市に住む人や生き物にたくさんの快適性を提供してくれている街路樹達ですが、その街路樹人(?)生はなかなか苦難に満ちています。植えられるときは2~3mの幼苗(ようびょう)だった街路樹も生長と共に、植桝(うえます)が狭くなっていきます。道路の下はガス・水道・電気などの管で一杯で根を伸ばすことができません。地上部は電信柱や看板・建物で枝葉を十分に伸ばす空間もありません。さらに、土の面が少ないため、自分で落とした落ち葉を肥料分として利用することもできませんし、夏の水不足がそれに追い討ちをかけます…。それでも、日光が当たっている限りは、葉っぱの光合成が生み出すエネルギーで街路樹は何とか生きていくことができます。しかし、植えられた当初は低い建物が多かった周囲も現在は高いビルが多くなり、最後の生命線である日光さえも届かなくなっています。
こうなると一大事です。街路樹は日光を求めて上へ上へとひょろひょろとした不安定な樹形になってきます。エネルギー不足のため、根や枝が傷ついたときに傷口をふさぐことができず、腐朽が進んでしまうのです。
さて、街路樹は「道路付属物」に位置づけられていることを思い出してください。道路になくてはならない「付属物」だからこそ、通行に危険や支障が予想される場合、安全が最優先されて伐採されてしまうことになります。これが大きな立派な樹が伐採されてしまう原因で、公園に植わっている樹木と大きく異なる部分です。