西永福駅から北へ25分ほど歩き、和田堀公園を抜けて善福寺川の大成橋を渡った先に成宗白山神社(なりむねはくさんじんじゃ)は現れる。
現在の本殿はコンクリート造りだが、建物側面の銘板には「鎮座九百年記念事業」とある。それもそのはず、当社の創建年代は、同じ氏子区域の大宮八幡宮、尾﨑(おさき)熊野神社と同時期、奥州征伐(源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした戦い)の頃と伝わるほど古い。2009(平成21)年の「鎮座九百年記念事業」では、本殿屋根葺(ふき)替え、境内整備が行なわれた。
敷地面積は470坪と小さな神社だが、境内には杉並区の保護樹木(※1)に指定された、幹が1.5メートル以上ある樹木が十数本もある。そのようなことからも、古くから大事にされてきた神社だと推測される。
旧成宗村字白幡(しろはた)の鎮守にあたることから神社名に「成宗」がついている(※2)。ちなみに白幡は、源頼義が奥州征伐の道すがら、空に源氏の白旗がたなびくような雲を見たころから勝利の表れだと大宮八幡宮を勧請(※3)し、その白旗の見えたあたりを白旗(白幡)と呼んだことが由来と伝わる。
当神社は大宮八幡宮の兼務社(※4)である。境内末社の白幡稲荷神社は、もともとは本殿に向かって左側の神社の敷地の端にあった。2014(平成26)年に本殿の隣に移動させ、防火のために木造の社を覆うコンクリートの建物が作られた。
※1 保護樹木:区内に残された貴重なみどりを、区民共有の財産として保全することを目的とした制度
※2 明治のころ、この成宗村と隣の田端村のための小学校として、二村の頭文字を取った成田小学校(現在の杉並第二小学校)が開校した。この小学校の名前から、周辺は成田東、成田西という地名に変わった。
※3 勧請(かんじょう):分霊を他の神社に移して祀(まつ)ること
※4 兼務社:神職が常勤していない神社
元日9時から昼頃(なくなり次第終了)まで、参拝者に甘酒がふるまわれる。またお飾りや旧年に使ったお札などを焚きあげる「とんど焼き神事」が1月14日(日)の9時から行われる。
『すぎなみの神社 お散歩ガイドブック』(株式会社近代出版社)