区内には善福寺川緑地や神田川沿いの遊歩道、歴史をたどる史跡めぐりなど、さまざまな散歩コースがあるが、その一つに「知る区ロード」がある。1988(昭和63)年にルートが設定された、全長約36km、東西の輪が重なるようにしてつながる散策路で、区内の主な名所旧跡や大きな公園、区の施設などを巡ることができる。
このルートには「はなのオアシス」「ときのオアシス」「はだしのオアシス」「みみのオアシス」という、人間の五感をテーマにした休憩所がある。東京武道館や東京藝術大学大学美術館を設計した建築家・六角鬼丈(ろっかくきじょう)氏が設計したものだ。
果たしてどんなオアシスなのか。阿佐谷~西荻窪まで4つのオアシスを巡る散歩コースを歩いてみた。
阿佐ケ谷駅を出発し、中杉通りを北へ進む。通りの美しいケヤキ並木は、1953(昭和28)年、阿佐ケ谷駅の南から青梅街道まで中杉通りが開通した際、地域住民の寄付によって植樹され、現在は北の早稲田通りまで全長約1.5km続き、街のシンボルになっている。
「世尊院前」の交差点を西へ。道案内は、「知る区ロード」のマスコット“すぎまる”だ。杉並区にちなみ杉の形をしたキャラクターが描かれたマンホール型の道標。路上観察家で「知る区ロード」の顧問でもあるデザイナー林丈二氏がデザインした。近所で見かけたことがある人も多くいるのではないだろうか。
“すぎまる”を探しながら歩くうちに、間もなく「はなのオアシス」がある「ゆうゆう阿佐谷館」に到着。この建物も六角氏設計によるものだ。エントランス部分に「はなのオアシス」があり、嗅覚をテーマにした4つの体験型のオブジェが並んでいる。座面の長い椅子「天柱」は、丸棒に両腕をかけ、頭が背もたれ上部に付くように座ると、喉と胸が開いて鼻の通りがよくなるという。半信半疑に試してみると、びっくりするほど自然と胸が開いて深く呼吸ができる。これはぜひ試してほしい。
・はなのオアシス:阿佐谷北2-18-17
鋭くなった嗅覚と“すぎまる”を頼りに、次の目的地「ときのオアシス」を目指す。コースである住宅街の細い路地はくねくねと曲がり、まるで迷路のよう。かつて、この辺りには天沼弁天池を水源とした桃園川が流れ、多くの水路が引かれていた。細い路地は暗渠(※1)となった水路の名残であろう。“すぎまる”を見失わないよう要注意である。
遊歩道に出れば一安心。銭湯の煙突を見上げたりしながら西へ進むと「ときのオアシス」へ到着。ここは感覚として捉えることが難しい「時」が3つの仕掛けで表現されている。止まった時間、焼きついた時間を表現した「時の門」。タイムカプセルが埋め込まれた「日時計」。地底潜望鏡が埋め込まれた「地界の天庭」は、地中の時の流れをイメージとしてのぞき見るために考案されたもの。どんなものなのかはのぞいてみてのお楽しみ。ベンチに腰掛け、しばし休憩。たまには時間を忘れてのんびりしたいものである。
再び遊歩道を西へ進むと、荻窪教会通り商店街にぶつかる。昔ながらの商店街は歩くだけでも楽しい。コロッケ屋にせんべい屋、あれやこれや買い物気分で荻窪駅へ。北口ロータリーには、「荻窪」の地名の由来となった「荻(おぎ)」が植えられている。荻は水辺の湿地に生えるススキに似た大型の多年草で、かつては善福寺川沿いの窪地に群生していたという。今ではなかなか目にすることのない荻を、見落とすなかれ。
※1 暗渠(あんきょ):覆いをした水路
・ときのオアシス:天沼3-31-5
ここからは「知る区ロード」を外れて歩く。荻窪タウンセブンを抜け、環状八号線を越えると「光明院」がある。和銅元年(708年)、諸国を行脚していた行者が、背負っていた仏像が当地で突然重くなり、付近に茂る「荻」で草堂を造って安置したのが寺のはじまりといわれ、ここでも荻窪の物語を知ることができる。
「光明院」を東西に横切る”荻の小径(こみち)”を抜け、住宅街を西へ進むと「薬罐(やかん)坂」に出る。わくわくするような名前の由来は、説明板によると、「雨の晩、人気のない坂に真っ赤に焼けた大きな薬罐が転がっており、蹴飛ばすとコロコロと坂を転がり落ちていった。その後も何人もの人が真っ赤に焼けた薬罐を見たことから、その名がついた」というもの。なるほど確かに薬罐が勢いよく転がっていきそうな急坂である。
薬罐坂を南へ下り、善福寺川を渡ってJRの高架手前を北西に進むと、西荻窪駅の北側に出る。カフェや雑貨店などが点在する街なかを抜け、“トトロの樹”として親しまれるケヤキの大木がある「坂の上のけやき公園」、斜面を利用した長いすべり台のある「井荻公園」を過ぎ、善福寺池近くにある「はだしのオアシス」に到着。
触覚をテーマにした広場は、文字通りはだしになってさまざまな触感を楽しむことができる。砂、砂利、石、タイル、瓦、コンクリートなど、いろいろな素材が埋め込まれた“ふれあい小径”を歩いてみる。石や砂を踏む足の裏が痛い。阿佐ケ谷駅からここまで2時間余り。疲れた足に程よい刺激を与えてくれる。
・はだしのオアシス:善福寺2-18-12
「はだしのオアシス」を出発し、アンティークショップが並ぶ骨董(こっとう)通り、駅前の伏見(ふしみ)通りを通って西荻窪駅へ。いよいよ最後の目的地「みみのオアシス」を目指す。南口を出て神明通り商店街に入る。ここでは毎月第3日曜日に1975(昭和50)年から続く「あさ市」が開かれ、にぎわっている。
神明通りを南東に進む。碁盤の目状の真っ直ぐな道が続くのでわかりやすい。『杉並風土記』(※2)によると、江戸時代初期、この辺りは一面茅(かや)の生えた原野で、幕府の建物の屋根に使う幕府御用の茅刈り場だった。しかし、1657年の江戸大火で茅葺(ぶ)き屋根が禁止となり、不要となった茅刈り場を関前(※3)の名主(なぬし)・井口八郎右衛門らが新田として開拓。その時に区画整理されて碁盤の目の形になったようだ。
「荻窪小学校北」の交差点を南に折れ、荻窪小学校を過ぎると宮前公園に到着。公園の一角にある竹林を抜けたところが、聴覚をテーマにした「みみのオアシス」だ。風のうなりや気流の響きをキャッチする「ぶらさがるみみ」、竹林の中の足音や声、その他さまざまな林の響きを拾う「かがむみみ」など、7つの「みみ」のオブジェが設置されている。いろんな「みみ」を試しながら耳をすますと、木々の間を抜ける風の音や鳥のさえずりに加え、にぎやかな子供たちの声などが聞こえてくる。小学校と中学校に挟まれた場所なので、自然の音を聴くには朝早く訪れるのがよさそうだ。
4つのオアシスを巡る、およそ17kmの散歩コース。オアシスといっても、のんびり疲れを癒やすのではなく、刺激を与えて五感を呼び覚ますというのが面白い。リフレッシュしながら、杉並の歴史を学び、脳にもよい刺激となった。ぜひ巡ってみてはいかがだろうか。
※2 『杉並風土記』:杉並区内を江戸時代の旧二十ヶ村に分け、現町名と対比しながら、各村の地名の由来や歴史、伝説などを記述している。1977年刊
※3 関前(せきまえ):現在の東京都武蔵野市
・みみのオアシス:杉並区宮前2-12-18
『杉並風土記』森泰樹(杉並郷土史会)