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恋と伯爵と大正デモクラシー 有馬頼寧日記1919

著:山本一生(日本経済新聞出版社)

本書は競馬の「有馬記念」に名を残し、大正から戦前の昭和期に活躍した政治家、有馬頼寧(よりやす)の評伝(※1)である。しかし、彼の生涯について書かれたものではなく、彼が書いた1919(大正8)年の日記の中の「恋」に絞って書かれたものである。それは伯爵の地位をかけた恋であった。
著者は、『有馬頼寧日記』(※2)の編集に加わり、人名索引も手掛けた近代史家の山本一生氏。「そもそも『有馬頼寧日記』が書き始められたのも、この“恋”のためではないか」と著者は語る。
文章は、いわゆる考証家や歴史家が書くのとは違い、文学的で美しい。題名のとおり、当時の華族社会や大正デモクラシーの息吹きも感じられる一冊である。第56回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作品。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>知られざる偉人>有馬頼寧さん

おすすめポイント

有馬頼寧は1928(昭和3)年秋に浅草・橋場から荻窪に引っ越してきて、終生この地に住んだ。有馬家が荻窪に1万5千坪の土地を入手したのは1912(大正元)年のこと。頼寧が移り住むまでは、農園やテニスコートとして家族や知己、友人の集まり場所に利用していた。本書にも、浅草・橋場の貧しい労働者の託児所「同情園」の園児たちを「広々としたところで遊ばせようと、荻窪にあった有馬農園に招いたりもしている」と記載されている。
読みどころは、著者が事実関係を調べ上げる過程の場面描写にある。その一つが、東京都立中央図書館で、謎の恋人「美登里」さんの親友「八重ちゃん」という女性を端末で検索する序章だ。80年も前の人を、「八重ちゃん」という情報だけで探し出す根気のいる作業。そしてついに発見した彼女は、意外にも日本のマザー・テレサと呼ばれている人だった。謎を追うミステリーを読んでいるようなワクワク感を味わいながら、知らず知らずのうちに本の世界に引きずり込まれる。
巻末の「有馬頼寧とその時代」と題する36ページにもわたる年譜も読み応えがある。頼寧の生涯略歴や多数の参考文献などが年次ごとに掲載されており、頼寧を知るうえで貴重な資料となっている。

※1 評伝:人物評をまじえた伝記
※2 現在確認されている有馬頼寧の日記は1913(大正2)年~1957(昭和32)年の45年間にわたるものである。しかし、すべての年の日記が完全に残っているわけではない。このうち、1919(大正8)年から1946(昭和21)年までの日記は『有馬頼寧日記』全5巻として刊行されている

荻窪の有馬農園に「同情園」の園児を招いた1918(大正7)年頃の写真(写真提供:有馬頼央氏)

荻窪の有馬農園に「同情園」の園児を招いた1918(大正7)年頃の写真(写真提供:有馬頼央氏)

DATA

  • 取材:進藤鴻一郎
  • 撮影:進藤鴻一郎
  • 掲載日:2019年12月09日