中川一政(1893-1991)は大正末期から平成初期までの長きにわたり洋画家として活躍しながら、歌人、随筆家としても多くの作品を残した多彩な才能を合わせ持つ創作者だ。17歳で若山牧水主宰の「創作」に短歌が掲載され、18歳で新聞「萬朝報」に短編小説「椎の木」が当選受賞するなど、むしろ創作活動では文才の開花が一足先であった。
東京の本郷の生まれだが、1924(大正13)年頃、まだ永福町駅が開業する前の永福寺領地内にあった6つのアトリエのうちの1つに転居し、同じく永福を拠点としていた奥村土牛と活動を共にすることもあった。97歳で没するまで、永福町とアトリエのある神奈川県の真鶴町を行き来する生活を送っていた。
1987(昭和62)年に創作活動の集大成として出版された本書は、執筆作品の集約にとどまらず、取材旅行記、日常生活、文化人との交流などが細かに描写されており、大正・昭和を知る貴重な資料ともいえる。
全十巻のうち第二巻には1948(昭和23)年に出版された「武蔵野日記」が含まれており、民家がまだ少なく武蔵野の面影を感じられたであろう風景や、住民たちの生活の様子が事細かに紹介されている。なかでも、神田上水と玉川上水のそばに点在していた養魚場について「十銭玉を握ってゆくと、番人は中位の鰻を一匹くれるのである」、「養魚場は、永福寺領の見事な松林と二十軒にあまる文化住宅と、四つ五つのアトリエをうつして、なお六千坪の水面に青空をうつしている」とあり、ウナギを養殖し、付近の住民が白焼きを食していたこと、この養魚場がある種の景観向上に一役買っていたことがうかがえる。
画家・中川一政のファンのみならず、地域の歴史に関心のある方におすすめの一冊。
「最新杉並区明細地図 昭和12年」
真鶴町立中川一政美術館ホームページ https://nakagawamuseum.jp/