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太平洋戦争日記

著:伊藤整(新潮社)

小説家・詩人として活躍し、文芸評論家・翻訳家でもある伊藤整(いとうせい)が、太平洋戦争時、つけていた日記。仕事、家族のこと、日常の備忘録に加え、報道される太平洋戦争の戦況と、自身の考えが記載されている。
「我々は白人の第一級者と戦う外、世界一流人の自覚に立てない宿命を持っている」。1941(昭和16)年、12月8日、太平洋戦争開戦時の高揚した気持ちを伊藤は記している。『生物祭』『イカルス失墜』など、西洋文学の基盤とした作品で注目され知性派と称されていた伊藤だが、当時の挙国一致で戦争に向かう体制を全面的に支持する。
戦争と日記を組み合わせた小説を意図し、日記をつけ続けたが、文筆活動が困難となり、命の危険が迫る中、勤めを掛け持ちしたり、家族を郷里の北海道に疎開させるため奔走する。

日記は、伊藤が和田本町(現杉並区和田)に暮らしていた期間の記載も含まれる(昭和16年12月〜昭和18年3月)。新開地といわれた原っぱの宅地に家族4人で暮らしていた。隣組、防空壕、配給制、切符制、灯火管制、空襲警報、防空演習等、太平洋戦争初期の町の様子が記されている。

おすすめポイント

伊藤は、玉音放送(※1)を、疎開先(北海道落部村)で勤務していた軍需工場で聞いた。休戦だと思っていたら、無条件降伏だった。敗北感のなかで、「こうして平和がきた」「この瞬間に国民は戦の終ったこと、大和民族が屈服したことを知ったのである」と記している。また、「後の敗戦国の国民生活は、また別個の記録を形成するであろう。そして、それを書く立場は、これまでの私のそれとは異なったものでなければならない」とも記して、太平洋戦争日記は終了している。伊藤のみならず、多くの日本人が経験した、戦時下の葛藤と敗戦からの再出発を知ることのできる一冊だ(※2)。

※本書は版元品切れ、電子版のみ配信中となっている

▼関連情報
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※1 1945(昭和20)年、8月15日、昭和天皇自らが、太平洋戦争終結を国民に伝えるために行ったラジオ放送

※2 再上京後、伊藤は、日野、ついで久我山(現杉並区久我山)で暮らし、小説、評論にとどまらず、表現の自由を巡って「チャタレイ裁判」を争い、日本の近代文学史を編さんした『日本文壇史』を執筆し、目黒区にある日本近代文学館の設立に尽力した

DATA

  • 出典・参考文献:

    「公益財団法人日本近代文学館」https://www.bungakukan.or.jp/

  • 取材:井上直
  • 掲載日:2025年08月04日