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武蔵野

著:上林暁 カメラ:大竹新助(社会思想社)

小説家・上林暁(かんばやし あかつき)が60歳の時に、写真家・大竹新助(※1)の協力で出版した武蔵野(※2)をテーマとした写真随筆集。
上林は、勤めを辞め作家に専念して以降、天沼に生涯暮らし、武蔵野に親しみ、武蔵野を舞台とした作品を数多く発表した。
本書には、代表作「聖ヨハネ病院にて」の続編「聖ヨハネ病院再訪」、阿佐ヶ谷会(※3)の遠足を描いた「高麗村」「奥多摩行」など18作品を収録。それぞれの舞台をあらためて訪ね、撮影された写真が添えられている。
杉並が舞台の作品は、「野に出て」(等正寺)、「寒別れ」(妙法寺)、「野草」、「草深野」(善福寺)、「春寂寥」(大宮八幡公園)、「夏野」(向井町)。執筆と撮影の時期は異なるが、光景が変貌していても作品のイメージを捉えた大竹の写真と共に、上林の書いた武蔵野の杉並を味わうことができる本だ。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>杉並の文士たち>上林暁さん
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>読書のススメ>武蔵野随筆

おすすめポイント

上林は、天沼に転居してくる途中の車中から見た向井町(※4)の田圃(でんぽ)に引かれ、たびたび散策した。
「野に出て」(昭和15年作)では、向井町の野に三、四軒あるうちの一軒、床屋の話。さらに、妙法寺へ道しるべをたよりに行ったら等正寺にたどり着く。
「夏野」(昭和30年作)では、向井町の三つ辻(つじ)にある鴨ずしの茶屋でくつろぐ。その辺りの話を聞き、夜の青果市場、犬の訓練所(警視庁嘱託の訓練所)、新しくできた風呂屋(鴨の湯)、牧牛場(信濃軒牛乳屋の牧場)を訪ねては、一喜一憂する姿がつづられている。「夏野」は作品が書かれた時期と撮影の時期が近く、文と写真が相まって、当時の向井町の様子を生き生きと伝えている。

「夏野」に登場する向井町の三つ辻の現在の様子

「夏野」に登場する向井町の三つ辻の現在の様子

※本書は絶版となっているが、区立図書館に蔵書がある

※1 大竹新助:写真家・随筆家。著作に『写真・文学散歩 本の中にある風景』『文学の中の風景』など。文学をテーマにした撮影、執筆活動で知られている。大竹も武蔵野に愛着を持つ一人だった

※2 武蔵野:明治中期以降、国木田独歩が著した『武蔵野』がもたらした新しい風景感。江戸の近郊農村として発展した杉並は、関東大震災まで雑木林・畑・原野が広がる「武蔵野」風景を色濃く残していた

※3 阿佐ヶ谷会:中央線沿線の作家たちの親睦会。主なメンバーは、上林暁のほか、井伏鱒二、青柳瑞穂、太宰治、木山捷平、外村繁、小田嶽夫、河盛好蔵など

※4 向井町:かつて妙正寺川流域にあった町。妙正寺川沿いに田圃が広がっていた。現在は、下井草の一部、本天沼の一部となっている

DATA

  • 取材:井上直
  • 撮影:井上直
  • 掲載日:2025年11月17日