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1.杉並にも公民館があった

杉並区立公民館の記憶をとどめる「オーロラ」の碑

区立荻窪体育館の一角にある「オーロラ」の碑をご存じだろうか。 
かつて1953(昭和28)年から1989(平成元)年まで、ここには杉並区立公民館があり、区民の学びと活動の場であった。この碑は同館閉館の際に、ここで学んだ区民らがその足跡を残したいと、杉並区に記念碑建立請願をしたことにより、1991(平成3)年に建立された。 
区民の心のよりどころとなった杉並区立公民館(以降 公民館)とは、どのような施設だったのだろうか。本稿は、かつて施設に通っていた区民を中心に、当時の資料と関係者の話をもとに記録した。

以降すべて敬称略

杉並区立荻窪体育館前の<br>「オーロラ」の碑<br>写真提供:瀧 徹(碑の制作者)

杉並区立荻窪体育館前の
「オーロラ」の碑
写真提供:瀧 徹(碑の制作者)

碑文に、35年に亘って社会教育の場として果たした役割の重要性が書かれている

碑文に、35年に亘って社会教育の場として果たした役割の重要性が書かれている

「オーロラ」の碑の制作者 瀧 徹へのインタビュー

「オーロラ」の碑の原石はポルトガル産のとても美しいピンクの大理石です。杉並に住んだ時期もあり、公民館が水爆禁止運動発祥の地であると知っていたが、まさか、その記念碑を自分がつくるとは想像もしていませんでした。制作期間は半年ぐらいでした。制作の依頼は、1990(平成2)年に杉並区平和都市宣言の記念像「ジーンズ」を制作された佐藤忠良先生の御推薦だったと、後で知ったのです。「オーロラ」制作以前の5~6年間は「石の空」と言うタイトルで作品をつくっており、長野県美ヶ原高原に、殆ど大きさも同じ姉妹作品が現在も展示されています。大理石は、軟らかく長い年月の間に風化するが、また磨けば光沢が戻る。オーロラは、自然現象で美しい!美しいものが壊されていく、美しいものが原子爆弾で破壊されていく・・・と言う意味を込め「オーロラ」と名付けたのです。
(インタビュー実施日:2014(平成26)年8月18日、アトリエにて)


瀧 徹(たき とおる)プロフィール
1942年 京都市に生まれる。
1964年 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業
1966年 東京芸術大学大学院美術研究科修了
1983年 第3回ヘンリー・ムーア大賞展・佳作受賞
1985年 第4回ヘンリー・ムーア大賞展・彫刻の森美術館賞受賞
国内外の数多くの展覧会に出展し、出雲市、昭島市、長野県、千葉県などに代表的な彫刻作品がある。

DATA

  • 最寄駅: 荻窪(東京メトロ丸ノ内線)  荻窪(JR中央線/総武線) 
  • 取材:林美紀子・森内和子・安井節子(五十音順)
  • 撮影:写影堂・TFF
  • 掲載日:2015年03月23日