荻窪三庭園の一つ、杉並区立大田黒公園
2024(令和6)年に、歴史的建造物である荻外荘(てきがいそう)を復原した公園もオープンし、荻窪三庭園(※1)が新しい名所となった荻窪。東京23区の西端に位置するが、交通の便は良い。
荻窪駅は、1891(明治24)年、甲武鉄道の杉並区内最初の駅として開業した。JR中央線、中央・総武線と接続する東京メトロ丸ノ内線の始発・終着駅でもあり、新宿までは約15分、東京駅には約30分で行くことができる。この「都心からはちょっと離れているが、交通が便利で、文化施設が集まり、歴史もあって自然環境に恵まれている」というのが、荻窪の大きな魅力だ。
駅直結の大型商業施設や、駅を中心に23もの商店街(杉並区商店会連合会未加盟も含む)を有し、ラーメンやカレーの有名店も軒を連ねる。駅の南北には閑静な住宅地が広がり、古い寺社も多い。まさに「みどり豊かな 住まいのみやこ」という区の基本構想が目指すまちの姿を体現する地域といえよう。
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荻窪は大昔から住みやすい土地であったようだ。
この辺りは武蔵野台地に位置し、善福寺川が、北西から南東に向かって蛇行しながら流れている。流域には多くの遺跡があり、荻窪駅から南に徒歩約10分、荻外荘を通り過ぎてやや下った所には川南遺跡がある。現在は荻窪地域区民センターになっているが、今から約12,000年前の旧石器時代の遺跡だ。ここから、動物の肉を焼いたと思われる数十個の石を集めた炉跡が出土している。これはバーベキューの跡と考えられており、想像すると古代人が何だか急に身近に感じられる。
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「荻窪」の地名の由来は、飛鳥時代に、旅の僧が現在の光明院辺りの荻を刈って荻堂を作り、観音様を祭ったという伝説によるといわれているが、江戸開府までは、長らく東国の小さな村の一つであった荻窪について残る記録はごくわずかであった。
江戸時代に入ると、新たに開拓された田んぼを中心に、村が増えてきた。それらの村の多くは幕府領とされたが、中には旗本領や寺社領とされたものもあり、下荻窪村(現荻窪1~5丁目、南荻窪1丁目・4丁目、上荻1~2丁目)辺りは、徳川氏を助けた功績で、旗本に昇進した服部半蔵に与えられたという伝承がある。半蔵が歩いていた頃の荻窪にタイムスリップした気分で、まちを散策してみるのも楽しいのではないだろうか。
杉並郷土史会会長の寺田史朗氏によると、当時杉並に建てられた別荘は、大名下屋敷(※2)の空間構造を継承して、武蔵野台地の端に邸宅を建て、崖の下に池のある庭園を配しているという。特に荻外荘は、台地と低地をうまく使っており、南側斜面の下にある現芝生広場には、かつて大きな池があった。杉並区立角川庭園は高台にある邸宅から庭がなだらかに下っている。建築当初は、田んぼが眼下に広がり、晴れた日には富士山も見えたという。大田黒公園も建物の南側は緩やかな斜面になっており、下にコイの泳ぐ池がある。
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1947(昭和22)年、第1回区長選挙で当選した新居格(にい いたる)は、杉並区を「学者、文化人、知識人達が多く在住しているのであるから、(中略)ワイマールのような、芸術的香気の高い地区にしてみたい」と書いている(『杉並区長日記』)。
中でも図書館についての記述は目を引く。「その図書館は白もしくはクリーム色の建物であらしめたい。その建物をかこむ庭は緑の芝生と草花とが目に美しく、読書につかれて充血した眼を憩わせるであろう。ベンチが花壇の傍に置かれている」(『杉並区長日記』)。杉並区立中央図書館と、そこに隣接する杉並区立読書の森公園は、まさに新居の夢見た姿さながらだ。
また、駅北側には、杉並公会堂や杉並区立郷土博物館分館、東京工芸大学杉並アニメーションミュージアムなどの文化施設がそろう。駅南側の荻窪三庭園では、歴史とともに、四季折々の自然の美しさを感じることができる。現在の荻窪の姿は、新居が描いたユートピアに近いのではないだろうか。
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新居が「ワイマールのような文化都市」の構想を描いて区長になったのは、彼自身の資質によるところが大きいが、明治以降、荻窪やその周辺地域に、多くの文化人や芸術家が住んできたことによって、すでに醸し出されていたまちの雰囲気が、さらに彼の構想を後押ししたとも考えられる。
では、荻窪やその周辺地域には、どんな人々が住んできたのか。その名前を挙げれば切りがないが、著名な人々の名前を挙げておこう。賀陽宮恒憲王(かやのみやつねのりおう)、近衞文麿(公爵)、有馬頼寧(伯爵)、渡邉錠太郎、与謝野晶子、井伏鱒二、太宰治、石井桃子、棟方志功、橋本明治、大田黒元雄、角川源義など。
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旧石器時代から現代までの荻窪の歴史を駆け足でたどってみたが、これから荻窪は未来に向かって、どのように変貌していくのだろうか。
杉並区の基本構想には、「区民はもとより、来街者を含めて、誰にとっても居心地がよく、にぎわいがあふれ、出かけたくなるまち」を目指すとある。まちは、そこに住む人だけでなく、訪れる人の思いによっても変わっていくだろう。荻窪には歴史を感じられる場所や、芸術に触れられる場所、オアシスのような場所、美食を楽しめる場所も至る所にある。住む人も、訪れる人も、ゆっくり歩けば、そのたびに新しい発見がある。荻窪の魅力を、ぜひあなた自身で発見してほしい。
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※記事内、故人は敬称略
※1 荻窪三庭園:区立大田黒公園、区立角川庭園、区立荻外荘公園
※2 大名下屋敷:江戸城に近い上屋敷とは別に、郊外に構えられた別邸。主に私的な用途に使われた
『大昔のすぎなみ その1・その2』(杉並区教育委員会)
『杉並郷土史叢書3 杉並風土記 上巻』森泰樹(杉並郷土史会)
『杉並郷土史叢書一 杉並区史探訪』森泰樹(杉並郷土史会)
『杉並区長日記』新居格(虹霓社)
『評伝 新居格』和巻耿介(文治堂書店)
『新版 荻窪の記憶』(荻窪地域区民センター協議会)
『日本別荘史ノート リゾートの原型』安島博幸・十代田朗(住まいの図書館出版局)
『国史跡指定記念特別展 「荻外荘」と近衞文麿』(杉並区立郷土博物館)
『躍進の杉並』(躍進の杉並刊行会)
すぎなみ学倶楽部 ミニ講座『荻窪三庭園という場所<トポス> 杉並の歴史から考える』講師・寺田史朗(杉並郷土史会会長・元杉並区立郷土博物館館長)
「杉並区基本構想」(杉並区政策経営部企画課)https://www.city.suginami.tokyo.jp/s001/1257.html