(よしなが)フランス革命(1789-99)に興味があって作品も描いていますが、パリの庶民のみじめな生活に比べると、江戸の町民の生活が豊かなのに驚きます。グルメの番付があったりして。
(大石)現代の正確さ・スピードなどとは異なる尺度の豊かさがあるのですね。不便、不安、不自由のイメージで語られがちな当時の町民ですが、彼らは「東海道中膝栗毛」(※9)を読み、「富嶽三十六景」(※10)を楽しんでいます。あるいは、江戸にいながら高い山、川、名所、温泉などのランキングを「見立番付」(※11)で知り、実際に出かけてもいます。ヨーロッパとはまた別の平和と豊かさです。
(よしなが)漫画家の杉浦日向子さん(※12)によると、江戸っ子の間では口が臭いというのが最大の悪口だったそうです。不潔が嫌われたのですね。で、朝から歯磨きをきちんとしていたようです。衣服にも気を使っていて、スマートに見えるように縦の縞柄(しまがら)の着物を着たりとか。貴族でない町民がそうしていたのはすごいと思います。文化、文明のレベルの高さですね。
(大石)近松門左衛門(※13)の人形浄瑠璃の台本などは、当時の大坂言葉で書かれています。しかし、大名の参勤交代や庶民の旅行、あるいは商売の取引など、列島規模で交流が活発化し、コミュニケーションが発達していたため、人々は理解が可能でした。大坂のみならず、全国の武士や庶民が近松の作品を楽しむ素地が出来ていたのです。
(よしなが)お芝居もべースになる教育がないと楽しめないと思うし、江戸の町民のレベルの高さを感じます。
(大石)子供は、寺子屋へ行って勉強してますしね。お金がなければ授業料の代わりに野菜を持たせたりして。そこまでして勉強させたのです。
(よしなが)寺子屋は保育園的な役割もしていたそうですが。
(大石)子供を預かってもらう場所でもあったようです。江戸の特色は、社会がボトムアップされていたこと。そして、それを支えているのが250年間の「江戸の平和」です。治安の良さは、幕末に来日した外国人が「こんな国があるとは」と驚くくらい。忘れ物をしても無くなることが少ないなど、今の日本社会の基本が見えるようです。その前の戦国時代は全く異なり、殺戮(さつりく)すればするほど出世できた社会で、拾った物は自分の物という社会です。それを新たな秩序につくり変えるのは大変な作業だったと思います。それに成功して、江戸時代の社会、国家が出来上がりました。明治時代はそこに洋風化や科学技術が上乗せられて始まったと考えられます。明治維新は偉大で、江戸時代は遅れているという見方を変えると、違う江戸時代像が見えてきます。それは漫画『大奥』にもつながる視点だと思います。
(よしなが)そう思います。
(大石)最近では、江戸時代の身分制度、士農工商は、それほど厳しい上下の関係ではなかったといわれています。上下の厳しい縦の身分制度を横倒しした横一線の士農工商イメージです。実際、江戸時代は意外にフレキシブルな社会でした。武士と町人の結婚や養子縁組もあり、家を守るためのさまざまな方法がありました。作家の近松門左衛門は武家の出身ですし、農家の次男、三男が町に出て町民になることも多く、身分の移動も珍しくありませんでした。生家の役割を誰かが継げば、他の者は比較的自由だったのです。
(よしなが)がちがちのようで、抜け道がありますね。時代劇で、町人の娘が武士と結婚するために武家の養女となるのもそれですね。
©よしながふみ/白泉社
※9 東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ):弥次郎兵衛と喜多八が東海道・京都・大坂を旅する滑稽本。作者は十返舎一九(じっぺんしゃいっく)
※10 富嶽(ふがく)三十六景:葛飾北斎が制作した浮世絵風景画。各地から望む富士山を題材としている
※11 見立番付(みたてばんづけ):相撲の番付を模倣したさまざまなジャンルのランキング表。気軽に楽しめる庶民のメディアとして人気があった
※12 杉浦日向子(すぎうらひなこ):漫画家、文筆家、江戸風俗研究家。浮世絵を下地にした独特の画風で、江戸風俗を題材にした作品を描いた
※13 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん):江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作者。代表作に「曾根崎心中」「冥土の飛脚」「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」など
漫画家。1994(平成6)年『月とサンダル』でデビュー。繊細な絵柄と巧みなストーリー展開で人気を博す。代表作に『西洋骨董洋菓子店』『フラワー・オブ・ライフ』『きのう何食べた?』『大奥』など。2009(平成21)年、『大奥』で第13回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞
「すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>道を究める>大石学さん」を参照
•取材:村田理恵
•撮影:TFF
•掲載日:2016年09月26日
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