滝沢秀一さん

本業がごみ清掃員、副業がお笑い芸人

お笑い芸人の滝沢秀一(たきざわ しゅういち)さん。1998(平成10)年に「マシンガンズ」を西堀亮さんと結成。一方で、ごみ清掃員として働き、環境省からサステナビリティ広報大使を任命されるなど、ごみ削減について多方面で活躍している。「本業がごみ清掃員、副業がお笑い芸人」と話す滝沢さんに、活動について伺った。

ごみ研究家としても多方面で活躍する「マシンガンズ」の滝沢秀一さん(写真提供:太田プロダクション)

ごみ研究家としても多方面で活躍する「マシンガンズ」の滝沢秀一さん(写真提供:太田プロダクション)

将来の夢はその都度、夢中になったもの

1976(昭和51)年生まれの足立区出身です。小さい頃は野球選手、中学校では器械体操をやっていたので体操選手になるのが夢でした。高校時代はヘビメタのバンドを組んでミュージシャンに憧れており、いつの時代も熱中していたものがそのまま将来の夢になっていました。
大学時代に、なるべくお金をかけずにお笑いを学びたいという理由から、カルチャーセンターの「ユーモア講座」に参加しました。そこで出会ったのが相方の西堀です。参加者の中に同じくらいの年齢の人が西堀しかいなかったんですよ。「一緒にお笑いやろうか」という話になり、芸人を目指しました。

厳しい就活で得たごみ清掃員の仕事

仕事のターニングポイントは妻の妊娠でした。突然妻から「出産費用の40万を持ってこい」って言われまして(笑)。お笑い芸人の給料ではポンッと支払えない金額だったので、必死で就職活動をしましたが、9社から断られました。その後、知人の紹介で都内の清掃会社に採用されて、素直に「ようやく仕事が決まってラッキー!」と思いました。それ以来、本業が「ごみ清掃員」、副業が「お笑い芸人」となりました。

ごみ清掃員として働く滝沢さん(写真提供:太田プロダクション)

ごみ清掃員として働く滝沢さん(写真提供:太田プロダクション)

ごみ清掃員の苦労

ごみ清掃員になった2012(平成24)年当初は、世間からの職業差別が顕著にあって、心無い言葉をかけられることもありました。普通に生活していると、ごみって「捨てたら終わり」なんですよね。僕も仕事にするまでその先を考える機会がなかったのですが、「捨てた人からごみを預かり、清掃工場まで届ける」、そのバトンをつなぐのがごみ清掃員の仕事なんです。
ごみ収集の作業中に、プラスチックごみにガラスが混じっていて、手を切って血だらけになることがしょっちゅうありました。最初は怒りや悲しさで心がいっぱいになっていたのですが、仕事を続けるうちに「どうしてこんなことするんだろうな?」と、捨てる側の人のことを考えるようになりました。振り返ってみると、暴力といえるほどの違反ごみに出合ったことがきっかけで、僕の中で「ごみのことを一人一人に知ってほしい」という気持ちが芽生えたのかもしれません。

ごみ出しのルールを守ろう

ごみ出しのルールを守ろう

東京ごみ戦争は「ごみ VS 人」の戦争

僕の働いている清掃会社にごみ関係の本がたくさんあったので、面白いなぁと読みあさっていました。その中に「東京ごみ戦争」関連の本も置いてあり、読んで衝撃を受けました。当時は杉並区と江東区のけんかのように報じられていたようですが、僕は「この問題は“ごみ” 対 “人”の戦争だな」と感じました。なぜなら、人間が生み出すごみをどうするかという問題が原点ですからね。これは、現在深刻になっている“プラスチック” 対 “人”の問題にもつながるのではないでしょうか。日本は国内で廃プラスチックを処理できずに中国に買い取ってもらっていたのですが、今や中国にも断られて東南アジアに送っています。でも、それも近いうちに容量オーバーになりそうで、かなり深刻な状況ですが、意外と知っている人が少ないんです。国や自治体でこのような問題への対策を統一し(※)、個人個人もプラスチックやごみを減らすことに意識してもらえる社会になればいいなと思っています。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>杉並のさまざまな施設>杉並清掃工場
すぎなみ学倶楽部 歴史>記録に残したい歴史>杉並清掃工場建設をめぐる「東京ゴミ戦争」

1967(昭和42)年、杉並清掃工場設置反対運動(写真提供:杉並区広報課)

1967(昭和42)年、杉並清掃工場設置反対運動(写真提供:杉並区広報課)

2008(平成20)年から杉並暮らし

妻の実家が阿佐谷にあったので、杉並区に住むことになりました。子供が小さい頃は、荻窪のタウンセブンの屋上によく遊びに行きました。すごく良いところなんですよ、無料でね。パパ友さんともそこで交流したりなんかして、帰りにブックオフに寄るのが、定番のお散歩コースでした。かれこれ14年住んでみて、杉並区は老若男女さまざまな人がいるので、とても住みやすくて愛されているんだなぁ、と感じています。

「なみすけは有名ですよ。子供たちも大好きです」

「なみすけは有名ですよ。子供たちも大好きです」

ごみから見た杉並区

ごみ清掃員を続けていてよく感じることは「ごみを通して人の生き方が見える」ということです。ペットボトルを捨てるときに、しっかりラベルを取って出してくれている地域は、その他のごみの出し方もきれいだと感じます。
高円寺には、座・高円寺の前身の高円寺会館時代からお笑いライブで通っていて、よく飲みにも行きました。高架下とかにいろんなパフォーマンスをする人がいて、面白い街ですよね。でも、やっぱり人が多いところにはごみも多く出てしまいます。僕が大好きな街だからこそ、高円寺はもっときれいにしていきたいと思っています。ごみの量を減らすには、自治体からの働きかけももちろん重要ですが、一人一人の意識や行動を変えていただくことが一番効果的だし、大切だと考えています。

「ごみは”資源”ということを学んだ」と熱弁する滝沢さん

「ごみは”資源”ということを学んだ」と熱弁する滝沢さん

子供たちに「ごみ育」を学んでほしい

現在は、企業からSDGs(持続可能な開発目標)の問題に絡めた講演依頼が多いです。SDGsやごみ削減の活動をしていく中で実感するのは、小さい頃からの教育や習慣はとても大切だということです。「食育」「スポ育」などのような形で「ごみ育」というものを子供たちに広めたいな。親子で見てほしいという思いを込めて、YouTube動画「たきざわゴミ研究所」でごみ問題やSDGsの内容をなるべくわかりやすく発信するように努めています。
最近は、オンラインサロンでごみ削減についていろいろ情報交換をすることが楽しいですね。メンバーのみんなで、ずーっとごみのことばっかり話しているんです(笑)。「冬はコンポストが使えないから悩んでいる」と相談したら、自宅で生ごみを乾かす方法を教えてもらえたので実践しています。今はもう、ごみを減らすことが楽しいという領域にきています。区のごみも、まだまだ減らせます。一緒にごみを少なくして、自分たちの大切な街をきれいにして、活気づけていきましょう。

▼関連情報
たきざわゴミ研究所(外部リンク)
滝沢ごみクラブ(オンラインサロン)(外部リンク)
杉並区>ごみと資源>できることからはじめよう(外部リンク)

小学生向けの清掃事業啓発冊子「できることからはじめよう」は、区立小学校の4年生全員に配布している。区のHPからもダウンロードできる

小学生向けの清掃事業啓発冊子「できることからはじめよう」は、区立小学校の4年生全員に配布している。区のHPからもダウンロードできる

取材を終えて

休日は子供たちと一緒に区内のごみ拾いをするという滝沢さん。私もごみ削減への熱い思いが沸き上がり、プラスチックごみ削減に向けてできることを調べ始めた。

滝沢秀一 プロフィール

1976年生まれ。東京都足立区出身。
1998年に、お笑いコンビ「マシンガンズ」を相方の西堀亮と結成。2008年に結婚して以来、杉並区に在住。2018年『このゴミは収集できません』がベストセラーとなり、以降小説を含め9冊の著書を出版。2020年、環境省から任命されサステナビリティ広報大使に就任。同年、文化庁メディア芸術祭のマンガ部門において『ゴミ清掃員の日常』が審査委員会推薦作品に選出。
現在は「マシンガンズ」としての芸能活動に加え、ごみ削減活動を中心に、オンラインサロンの運営、YouTubeやSNSでの発信、執筆、講演など、多方面で活躍している。

※2022(令和4)年4月1日「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律」(プラスチック資源循環法)が施行され、プラスチックの資源循環の取り組みが進められている

2021(令和3)年に出版した『日本全国 ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話』(主婦の友社)。「良いアイデアは各自治体でパクりあってほしい」という滝沢さんの思いが込められている一冊

2021(令和3)年に出版した『日本全国 ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話』(主婦の友社)。「良いアイデアは各自治体でパクりあってほしい」という滝沢さんの思いが込められている一冊

DATA

  • 公式ホームページ(外部リンク):https://ameblo.jp/takizawa-shuichi/
  • 取材:加藤智子
  • 撮影:TFF、加藤智子
    写真提供:株式会社太田プロダクション、杉並区広報課
  • 掲載日:2022年05月09日