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安廣一哉さん

安廣道場の練習風景。真剣なまなざしで子供たちのスパーリングを見守る

安廣道場の練習風景。真剣なまなざしで子供たちのスパーリングを見守る

子供たちに空手を指導する元K-1ファイター

高円寺のハレロイスタジオや東大和市で安廣道場を運営する安廣一哉(やすひろ かずや)さん。空手家・格闘家として試合に出ながら、子供から大人まで幅広い年齢層の道場生にフルコンタクト空手(※1)とフィットネスを教えている。
安廣さんは元・K-1ファイター(※2)でもある。「K‒1 WORLD MAX2005」で世界3位になった実力者なので、テレビで見たことがある人も多いのではないだろうか。
一見こわもて、でも道場で教える子供たちには「優しくて厳しい」と慕われる安廣さんに、K-1時代の思い出や、高円寺のまちとのつながりなどについて伺った。

▼関連情報
ハレロイスタジオ 安廣道場(外部リンク)

安廣一哉さん

安廣一哉さん

いじめられ、「自分を変えるために」始めた空手

安廣さんは、小・中・高等学校時代はバドミントンの選手だった。
バドミントンで全国を目指すため、出身地北海道のバド強豪校・北海道旭川工業高等学校へ進学、そこでトラブルに見舞われる。「いわゆるやんちゃな生徒とささいな行き違いがあっていじめられるようになったんです。それで、この状況を変えるには自分自身を変えるしかないと思って、フルコンタクト空手を始めました」。親の反対もあったがアルバイトで月謝を工面し、道場に通って自分を鍛えていった。
数ある格闘技の中から空手を選んだのは「ジャッキー・チェンが大好きで。ああいうのをやってみたいなって思って」。その後、空手を始めたことで一目置かれ、いじめっ子とは友達になった。問題が解決したことと、選抜選手だったバドミントン部との両立が難かしかったことから、空手はいったんやめることに。バド部を引退した高3の夏から再開し、高等学校卒業後に上京した後、空手の名門・正道会館に入門した。

志村けんさんの物まねを披露する安廣少年。バドを始める前の少学4年生の頃(写真提供:安廣一哉)

志村けんさんの物まねを披露する安廣少年。バドを始める前の少学4年生の頃(写真提供:安廣一哉)

6つダウンを取られても立ち上がったK-1時代

1993(平成5)年に始まったK-1は、当初は佐竹雅昭さん、武蔵さん、アンディ・フグさんなど重量級スター選手が多く、安廣さんが出られる階級はなかった。だが、2002(平成14)年にスタートした「K-1 WORLD MAXシリーズ」ではミドル級が対象に。安廣さんは、前年に全日本新空手道選手権大会中量級で優勝した実績と、当時の館長がK-1の創始者でもあったことから、正道会館の選手として出場することになった。
最も思い出に残っている試合は、2005(平成17)年10月、リトアニアのレミギウス・モリカビュチス選手との対戦だ。3ラウンドで2回ずつダウン、計6回ダウンし、おそらく「K-1史上に残る最多ダウン(を取られた)」試合になった。「レミギウス選手の早くて硬いパンチを受けて最後には顔面がボコボコに…。試合には負けたけど、ダウンしても諦めなかったから、記憶に残っています。僕は決して強い選手ではなかったけど、勝ちにこだわってつまんない試合をするより、印象に残る試合をしてK-1を盛り上げてやろうって考えていました」

レミギウス選手とはキックボクシングのルールで戦った(撮影:Susumu Nagao 写真提供:安廣一哉)

レミギウス選手とはキックボクシングのルールで戦った(撮影:Susumu Nagao 写真提供:安廣一哉)

安廣さんの諦めない気持ちはどこからくるのだろう?
「バドミントンの時はよく諦めてました。審判のミスジャッジに腹を立てて試合を捨てちゃったり、チームの弱い人のせいにしたり。でも空手は一人で戦い、諦めたら即倒される世界。特に意識し出したのは黒帯を巻いてからです。色を全部混ぜると黒になるじゃないですか。黒っていうのは、それ以上は変わらない。だから変わらない覚悟を身に付けた人が巻ける帯、諦めちゃいけない帯なんですよ。あとは、持って生まれたサービス精神かな(笑)」

ダウンしても何度も立ち上がり、観客を沸かせた(撮影:Susumu Nagao 写真提供:安廣一哉)

ダウンしても何度も立ち上がり、観客を沸かせた(撮影:Susumu Nagao 写真提供:安廣一哉)

高円寺に安廣道場を構える

高円寺に道場を構えたのは、空手仲間に高円寺で一番古い不動産屋を紹介してもらったことがきっかけ。荻窪や吉祥寺なども探したが、最終的には周辺をリサーチしないまま、ハレロイスタジオのトレーナーでパートナーでもある横谷りえさんと「ここがいいよね」と直感で決めたという。
高円寺を拠点としたことで、地域とのつながりがどんどん広がっている。もともと知り合いだった東京立正中学校・高等学校の校長と高円寺で再会し、校長の「学校は子供が出入りしてこそ価値がある」との考えから、学校の柔道場を貸してもらえることになった。また、安廣道場の氏神にあたる高円寺氷川神社とも共通の知人を介して知り合い、イベントなどで道場の子供たちによる演舞を披露している。

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すぎなみ学倶楽部 特集>杉並の教育>東京立正中学校・高等学校
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高円寺氷川神社の神楽殿で、キレのいい演舞を披露

高円寺氷川神社の神楽殿で、キレのいい演舞を披露

「試合に出る」という体験が心の強さを養う

高円寺の安廣道場には、幼年部、少年部、一般部などのほか、子供から大人まで一緒に稽古ができる合同クラスがある。
また、年に一度東京立正中学校・高等学校の柔道場を借りて「安廣杯」という大会を行っている。大会の趣旨について、「うちの道場生は運動が得意な子ばかりじゃない。けど、弱くてもいいじゃないか、一生懸命やっているんだから。レベルの高い公式戦は無理でも、そういう子がチャレンジできる場を作りたい。舞台は小さくても、試合に出るという経験をさせたい。そんなことを仲のいい道場主に話すと、同じように考えているところが多くて、回を重ねるごとに交流試合のようになってきました」と安廣さん。りえさんも「発達に障害のある子も“安廣杯"なら大人の配慮があるので出られる。試合にはドクターや接骨院の先生にも来てもらって、安全な環境をしっかり整えています」とほほ笑む。

「押忍!」声が出ないとやり直し。礼儀作法には特に厳しい

「押忍!」声が出ないとやり直し。礼儀作法には特に厳しい

「安廣杯」の幼年部(3~7歳)の試合。防具を付けていても痛いが、泣いたら判定負け

「安廣杯」の幼年部(3~7歳)の試合。防具を付けていても痛いが、泣いたら判定負け

安心して羽ばたける居場所になりたい

安廣道場では、ものづくりのワークショップや農業体験など、空手以外にもさまざまな活動を行っている。「道場を地域のコミュニティーハブというか居場所にもしていきたいですね。たとえば学校で嫌なことがあっても、ここにくれば仲間がいる。子供には複数の居場所が必要だと考えています。大人がまず安心できる環境を作ってあげて、子供は安心してそこからチャレンジしていってほしい」
「人生死ぬまで挑戦」を道場のモットーにしている安廣さんは、体が動く限り自分も試合に出ることを課し、年に一度はワンマッチなどに挑んでいる。「根が怠け者だから、目標がないと自分を追い込めないんですよね」と、挑戦していくからこそ人生は楽しい、ということを自ら体現している。

※1 フルコンタクト空手:ヘッドガードなどの防具を身に着け、パンチ(突き)やキック(蹴り)で直接打撃をする形式の空手
※2 K-1:日本発祥の打撃系格闘技のイベント。空手・キックボクシング・カンフー・拳法などの選手がジャンルを問わず戦い、立技最強を決める

高円寺駅から徒歩約7分、環状7号線のそばにあるハレロイスタジオ

高円寺駅から徒歩約7分、環状7号線のそばにあるハレロイスタジオ

取材を終えて

子供を介して知り合った空手の道場主にインタビューした。安廣さんは、時々りえさんの的を射た解説(ツッコミ)を受けつつ、格闘技素人の私にも分かりやすく説明してくれた。子供たちのことを真摯に考えてくださるお二人。優しさと厳しさが両立する方々なのだと思う。

安廣一哉 プロフィール

格闘家・空手家、安廣道場代表(東大和・高円寺)、杉並区在住。
1976年 北海道旭川市出身
1994年・1995年 北・北海道代表としてバドミントンで全国大会に出場
1999年・2000年 正道会館主催 第一回・第二回 正道全日本ウエイト制軽量級優勝
2001年 新空手道全日本選手権中量級優勝
2002年 K-1WORLDMAX日本一決定トーナメント出場 プロデビュー戦
2005年 K-1WORLDMAX世界一決定トーナメント世界3位
2007年 K-1WORLDMAX日本一決定トーナメント3位
2007年 東大和 安廣道場が始まる
2011年 六本木ヒルズアリーナにて東日本大震災チャリティーマッチを開催。魔裟斗と2分2Rのエキシビジョンマッチを行う
2016年 高円寺にハレロイスタジオ・安廣道場をオープン
2022年 目黒区志のぶ幼稚園にて空手教室を開始(東大和・高円寺・志のぶ幼稚園の3カ所にて空手を指導、合計約180名の生徒が在籍)

DATA

  • 出典・参考文献:

    「公益社団法人 全日本フルコンタクト空手道連盟(JFKO)」
    http://fullcontact-karate.jp/
    「K-1 OFFICIAL SITE」
    https://www.k-1.co.jp/

  • 取材:ヤマザキサエ
  • 撮影:ヤマザキサエ
    写真提供:安廣一哉
    取材日:2025年01月25日
  • 掲載日:2025年03月10日