大正14年、大根畑の広がる杉並の村に大工場がやって来た。馬車や牛馬が行きかう青梅街道沿いで、飛行機のエンジンを製造した中島飛行機東京工場。かつて荻窪にあった施設と関わりをもった人々の記憶が今よみがえる。
掲載日:2015年11月30日
中島知久平の強い支援のもとに、飯沼金太郎は杉並に亜細亜航空機関学校を設立。航空界人材育成の志をもつ飯沼は、同校を国内トップクラスの規模、設備を誇るまでに拡充する
掲載日:2010年12月02日
跡地は杉並区民に親しまれている防災機能を備えた「桃井はらっぱ公園」として生まれ変わった