所沢航空発祥記念館で開催された特別展「日本の航空技術100年展」は、2013年8月31日に終了した。この特別展に招聘展示された「零式艦上戦闘機五二型61-120号」は、所有者のアメリカPOF民間航空博物館に返還するため、機体を解体し輸送することとなる。それに伴い、解体作業を見学するイベントが開かれた。機体内にあるエンジンが杉並の工場で作られたものかを確認するチャンスなので、取材にうかがった。
解体見学会は、9月1日13時から所沢航空発祥記念館に隣接した屋外のコーナーにおいて行われたが、連日の猛暑にもかかわらず多数の熱心な航空ファン、報道陣がつめかけた。暑さを避けるため、機体の解体作業は隣接の館内で実施。そのため、作業見学も40から50人程度に分かれて順次館内で行われた。
解体作業始まる
館内作業場では、機体からエンジンを分離するため、エンジンを覆っているカウリング(機体の空気抵抗を減らすカバー)の取り外しなどから始まる。
カウリングは、上下2つに分割した構造で、両片側にそれぞれ4つある楕円形のプレートを取り外す。次に、その中にあるカウリングの上下を結合するターンバックルを操作、カウリングを外す。やがて、栄エンジンが、徐々にその姿を現し始めた。
この時、記念館側のご厚意により、エンジン製造工場などがわかる銘板確認のため、写真撮影許可が得られた。早速、機体横に設置された脚立に登り、エンジン上部を見下ろす位置から銘板を探す。残念ながら銘板は見当たらなかったが、「NO31262」の刻印を確認、撮影することができた。なお、この刻印番号がエンジン製造番号を意味するのか否か現段階では不明なので、引き続き取材を行いたい。
続いて解体作業は、エンジン公開のため、エンジンを機体から取り外し、フォークリフトで吊り下げて機体から分離。その状態で屋外コーナーのほぼ中央に移動し、所定の場所に設置された。ここに、「栄二一型空冷複列星形14気筒1,100馬力」のエンジンが、その全貌を現した。むき出しの栄エンジンの造形は、まさに複雑でメカニックそのものである。撮影は、エンジンの目前まで近づいて行うことが許された。これが最後の機会と思うのか、航空ファン、取材陣も猛暑を忘れて黙々と撮り続ける。
解体作業に携わっている日本側の関係者に、先程見当たらなかったエンジンの銘板について尋ねてみると「すでに取り外されているのではないか」との見解があった。またその際、エンジン製造工場などを特定するものではないが、エンジン減速器にある番号「6?231」と「桜の紋章」と思われる刻印、エンジン付属の補機にある銘板の位置を示してくれた。この補機にある銘板には、「中島第1112519・中島飛行機株式会社東京製作所」と記載されていた。
この解体会では、エンジンの製造工場等の確認はできなかった。今回得たエンジン上部刻印番号、減速器刻印番号及び補機銘板記載内容などを手掛かりとして、引き続き取材を行いたい。
埼玉県所沢市にある「所沢航空発祥記念館」では、特別展として「日本の航空技術100年展」を2012年8月4日から2013年8月31日まで(当初は3月31日までだったが延長された)開催している。
この特別展では、当時のエンジンのまま飛行可能な「旧日本海軍零式(れいしき)艦上戦闘機五二型61-120号」を特別公開している。
この零戦は、1944年(昭和19年)6月にサイパン島で、米国海兵隊によって無傷の状態で捕獲された後、民間に払い下げられ、1957年(昭和32年)に米国カリフォルニア州にあるプレーンズ・オブ・フェーム民間航空博物館(以下「POF」)の創設者が引き取り、現在に至っている。搭載されているエンジンは、現在の杉並区桃井にあった中島飛行機東京工場(のちに荻窪工場と改称)製の「栄21型」であり、また多くの部品が当時のままでありながら、世界で唯一飛行可能な機体だ。
この零戦のエンジン始動及びタクシング(屋外での場内徐行操縦)見学会が、2013年4月1日に開催され、航空ファンには垂涎のイベントとなった。
埼玉県所沢市は、杉並区と同じ航空関係の「発祥の地」
旧中島飛行機荻窪(後に東京)製作所の跡地には「旧中島飛行機発動機発祥之地」「ロケット発祥之地」として、2つの記念碑が建立されている。一方、埼玉県旧所沢飛行場跡地は、「航空発祥の地」として「所沢航空公園」となり、その公園の中に「所沢航空発祥記念館」が設立されている。
奇しくも、杉並区と所沢市は、ともに航空機関係の「発祥の地」であり、日本の航空機発達のため歴史的に大きな役割を果たした地域である。
2013年4月1日13時過ぎに航空発祥記念館に隣接して設置された屋外会場において、エンジン始動およびタクシングが始まった。
約200名(希望者はその6倍)の所沢市民と約50名の報道関係者などの航空ファンがつめかけ、熱気にあふれていた。
屋外会場には、「零式艦上戦闘機五二型」の機体が光沢をおびた濃緑色の塗装にほどこされ、新機種と見間違えんばかりの姿でスタンバイしていた。
日米両国歌が流される厳粛なセレモニーの後、ブルン、ブルンという音とともに白煙が噴き上がり、エンジンが始動した。エンジン音はかなり大きいが軽快であり、栄エンジンの安定性が感じられた。約2、3分のエンジン始動後、場内を徐行。目前を通り過ぎるときには、プロペラの回転とエンジン音の迫力に圧倒される観客たち。ここで場内を2周し、所定の位置に停止した。操縦士は操縦席の風防を閉め、エンジン出力を最大限近くに上げたのであろう、ゴーゴーとひときわ高くエンジン音が場内に轟き渡った。まさに轟音。「栄21型エンジン」1,100馬力が、70年の時空を超えて蘇った瞬間である。
なお、展示終了直後には零戦解体イベントも予定されている。
今回の零戦展示にあたって、所有者の米国POF側と3年にわたる招致交渉に尽力された「所沢航空発祥記念館」の白砂徹事業課長にお話しをうかがった。
この零戦は、現在開催中の「日本の航空技術100年展」において、戦前の日本の航空技術を代表する存在として特別展示するために米国より招致したものです。当初は、米国側から機体の老朽化を理由に承諾がおりず、また、交渉中に東日本大震災が発生したことなどから、中止も視野に入れざるを得ない状況でした。
交渉が大きく進展したのは、東日本大震災が一応の落ち着きを取り戻した時で、日米友好の証として復興支援の意味合いから一転、日本での展示にご快諾いただきました。
2012年10月に待望の許可がとれ、日米双方の思いもあって、実現に至ったものと感じています。
この零戦は、過去2回日本に里帰りして、実際に飛行しています。今回は、機体の老朽化に伴う保護などから、飛行は予定されていませんが、2012年11月27日と28日に機体の組み立て見学会を、12月1日と2日は1日3回にわけて、30分間制限のエンジン始動見学会を開催しました。この見学会は来場者1万人の大盛況でした。
180万部のミリオンセラーとなった百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」は、太平洋戦争を描いた小説ですが、3年前にこの本を読んで、非常に感銘を受けました。今回の零戦展示の企画を始めた一つのきっかけになったことを覚えています。
2013年12月には、東宝映画「永遠の0(ゼロ)」の劇場公開が予定され、当館とコラボレーション企画
が進んでいます。ここで録音されたエンジン音が映画の中で使用されるようです。
また、宮崎駿監督のジブリ作品「風立ちぬ」の2013年7月20日公開が、先日リリースされました。こちらは零戦主任設計士である堀越二郎さんが主人公のお話です。
私も以前荻窪に住んでいたことがあり、思い出の多い地でもあります。
これからもお互いに協力させていただければと思います。