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歴史 History

戦争の記録を残すべく、2015(平成27)年、戦後70年という機会に、杉並区に残る戦争関連の施設や場所などの取材をスタート。今は平和のうちにある「気象神社」や「浴風会」も、戦時中は陸軍の関連施設であった。

▼記事一覧

防空壕内から外を望む。70年経過しているため、鉄扉は塗装がはがれている

掲載日:2015年11月24日

現存する防空壕

杉並区内に現存する防空壕は、とても頑丈な構造だった

そこには、家族の安全を守る、しっかりと構造設計された防空壕が残っていた

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杉六小のかしの大木

掲載日:2015年11月24日

かしの木は残った (杉並区立杉並第六小学校)

杉並第六国民学校は全焼。それでも、かしの木だけは生き続けた

疎開先から戻ってきた学童が見たのは一面の焼け野原。しかし、校庭の隅に立っていたかしの木は残っていた!

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(仮称)荻外荘公園から見た荻外荘。白いシャッターが下りている部屋の左隣りの部屋で近衞文麿は自決した

掲載日:2015年08月31日

荻外荘(近衞文麿旧宅)

戦時中、荻外荘にて話し合われた日本の動向

大正期から昭和初期にかけて、文化人の別荘地または都心に近接した郊外住宅地として発展してきた面を持つ荻窪。当時は屋敷林を持つ邸宅が数多く存在していた。その1つとして、かつて近衛文麿の私邸であった荻外荘が挙げられる

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1945(昭和20)年5月に接収された本館。3階の室内で機密資料が焼却された

掲載日:2015年08月24日

浴風会

「ワレラ目標ニ進行中」 特種情報部がキャッチした、その意味は!

米軍の攻撃目標対象外といわれていた浴風会。そこに目を付けた陸軍はその施設のほぼ半数を接収し、任務に励んでいた

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斎霊殿(さいれいでん)

掲載日:2015年08月12日

馬橋稲荷神社 斎霊殿・忠魂碑

馬橋村から出征し戦争の犠牲となった戦士の霊を慰める

現在も近隣住民にとって身近な神社という存在である馬橋稲荷神社。静かな敷地内には、かつての戦争に纏(まつ)わる殿と碑がある

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現在の気象神社(写真提供:氷川神社)

掲載日:2015年08月10日

気象神社

日本唯一という気象神社は軍事施設の中にあった

戦前、馬橋公園を含む軍用地に、旧陸軍が飛行場建設を計画。計画は中止されたが、その用地の一部が陸軍気象部となった。現在の社殿は、2003(平成15)年に立て直された

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