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歴史 History

戦争の記録を残すべく、杉並区に残る戦争関連の施設や場所などを取材。また、広島、長崎の原爆被害者とその遺族で結成する「杉並光友会」のメンバーを始め、杉並区にお住まいの方々から戦争体験を伺った。

▼記事一覧

中島公子さん。「旧滋賀家住宅主屋」にて

掲載日:2024年08月06日

【証言】中島公子さん

「旧滋賀家住宅主屋」現所有者

「戦争を起こさないためにはどうすればよいか、みんなで考えることが大事」

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重要無形文化財保持者(人間国宝)、山本東次郎さん

掲載日:2024年01月22日

【証言】山本東次郎さん

狂言方大蔵流 山本東次郎家四世・人間国宝

戦時中の狂言の稽古・公演、疎開についての記録

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証言による井草高等女学校の制服のイメージ

掲載日:2022年04月18日

【証言】ある女学生の戦時下の普通の日々

みどりさん(10代から約20年間杉並で生活)

1931(昭和6)年生まれの女性が卒寿を迎えてから語り出した戦争体験は、女学生のみずみずしい普通の日々だった

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防空壕内から外を望む。70年経過しているため、鉄扉は塗装がはがれている

掲載日:2015年11月24日

現存する防空壕

杉並区内に現存する防空壕は、とても頑丈な構造だった

そこには、家族の安全を守る、しっかりと構造設計された防空壕が残っていた

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杉六小のかしの大木

掲載日:2015年11月24日

かしの木は残った (杉並区立杉並第六小学校)

杉並第六国民学校は全焼。それでも、かしの木だけは生き続けた

疎開先から戻ってきた学童が見たのは一面の焼け野原。しかし、校庭の隅に立っていたかしの木は残っていた!

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中島邦男さん

掲載日:2015年09月28日

【証言】中島邦男さん

久我山在住。馬橋にあった陸軍気象部に勤務

「ソ連軍機から見つからないように、道路脇の側溝に入り、側溝の脇に茂った草に隠れながら逃げました」

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荻外荘公園から見た荻外荘。白いシャッターが下りている部屋の左隣りの部屋で近衞文麿は自決した

掲載日:2015年08月31日

荻外荘(近衞文麿旧宅)

戦時中、荻外荘にて話し合われた日本の動向

大正期から昭和初期にかけて、文化人の別荘地または都心に近接した郊外住宅地として発展してきた面を持つ荻窪。当時は屋敷林を持つ邸宅が数多く存在していた。その1つとして、かつて近衛文麿の私邸であった荻外荘が挙げられる

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1945(昭和20)年5月に接収された本館。3階の室内で機密資料が焼却された

掲載日:2015年08月24日

浴風会

「ワレラ目標ニ進行中」 特種情報部がキャッチした、その意味は!

米軍の攻撃目標対象外といわれていた浴風会。そこに目を付けた陸軍はその施設のほぼ半数を接収し、任務に励んでいた

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斎霊殿(さいれいでん)

掲載日:2015年08月12日

馬橋稲荷神社 斎霊殿・忠魂碑

馬橋村から出征し戦争の犠牲となった戦士の霊を慰める

現在も近隣住民にとって身近な神社という存在である馬橋稲荷神社。静かな敷地内には、かつての戦争に纏(まつ)わる殿と碑がある

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現在の気象神社(写真提供:氷川神社)

掲載日:2015年08月10日

気象神社

日本唯一という気象神社は軍事施設の中にあった

戦前、馬橋公園を含む軍用地に、旧陸軍が飛行場建設を計画。計画は中止されたが、その用地の一部が陸軍気象部となった。現在の社殿は、2003(平成15)年に立て直された

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