杉並区内のSさん宅にうかがって、現存する防空壕(ぼうくうごう)を取材した。
かつて区内にあった防空壕は、当時が物資不足であったことからも、その多くは地面に穴を掘った形式のもので、その周囲に土を盛ったり、廃材を利用したものであった。
しかし、この家の防空壕は別格なほど頑丈な設計がされている。まず地下へ延びる幅70cmほどの階段がある。金庫の扉を流用したと思われる鉄製の扉。壕の壁面と天井には、厚さ18センチメートル(6寸)ほどのコンクリートに漆喰(しっくい)が塗装され、天井は強度をとるためにアーチ構造になっている。階段は2カ所あり、一方から火が入ってももう片方から脱出できるよう工夫がみられる。広さ4畳半程度の居住スペースに、空気穴が床に2カ所と天井に1カ所。また、地上の水くみポンプからパイプが引かれていた。壁の下に溝が切られており、排水する仕組みになっている。
一時的に避難するというより、ここで籠城できるような地下室であった。
この防空壕は、1943(昭和18)年にSさんの祖父が家族のために造った。実際に大空襲を受けて一帯が焼け野原になったとき、この防空壕へ逃げ込んで助かっている。
鉄製の扉やコンクリート等の資材の入手、建設作業には知人の協力もあった。お礼は日当のほか、食事の提供も喜ばれたという。当時は食糧の確保も難しかったのだ。「そんな大変な思いをしてでも、造らなければ家族を守れない。祖父は家族を守りたい一心で造ったのです。この防空壕を見るたびに、こんなものが必要だった時代は2度と来てはいけないと思います。今の私たちの暮らしには防空壕は必要ありません。現在の平和な暮らしの対極な存在として、防空壕を残していこうと思っています。」とSさんは語った。
※ 個人宅のため場所は伏せています。