「ウォーターシュート」って、ご存知ですか?
「ウォータースライダーならわかるけど・・・」と、おっしゃるみなさん 近いですが、違います!
ウォーターシュートとは、10人程のお客さんを乗せたこじんまりした平底ボートが、高所から水面に向かって傾斜面を一気に滑り降り 「バシャーン」と水しぶきを上げて着水!!
という何ともスリルに満ちた しかし、伝統のある遊具なのです。
そんな壮大なアトラクションとも呼べるものが なんと!終戦前の和田堀公園(旧・大宮公園)にあったというのです。果たしてどんな光景だったのでしょう・・・?
当時をご存知の方々にお話しを伺い、まとめてみました。
「当時は、大宮公園の名称でしたが、今の和田堀公園・サッカー場の所にウォーターシュートが出来たのは、確か昭和13年頃だったと記憶しております。この写真(右)は、その建て前・棟上げ式に関係者の皆さんで撮ったもので、裏に[昭和13年の頃]と記してあるので、ほぼその頃だと申し上げてよろしいでしょう。この写真にも写っております私の叔父は、当時浅草で「日本娯楽」という遊具の製造・貸し出し・管理などを行う会社を経営しており、浅草の「花やしき」なども手掛けておりました。」
「ある時、大宮公園の池周辺の権利をお持ちの方に依頼され、豆汽車・豆自動車・木馬・射的場・映画ボックスなどをその辺り一帯に常設し、運営をはじめました。ウォーターシュートは、中でも一番大掛かりなもので、以前からあったプールの上に造られたんです。この大きな櫓(やぐら)の下には回転ボートもあって一緒に営業してましたよ。他にも、別の方の経営でサル園や手漕ぎボート池もありまして。園内には、拡声器で市丸さん(当時の流行歌手)などのレコードも流れていて、ご家族連れはもちろん、お若い方や芸者さんなどもいらしたりで、本当に色々な方々で賑わっておりましたね。」
「私たち家族は、ここの運営を手伝って欲しいと叔父に頼まれ、大阪から越してきたのです。ウォーターシュートには、私もよ~く乗りましたよ。父の後ろにね。私の父は、ウォーターシュートの船頭をしていたんです。スポーツマンでとても活発、運動神経も抜群でサーカスっぽいことが大好きで・・・(笑)。船頭は、平底ボートの船首に何にもつかまらないで立って、斜面を滑走中もバランスを保ち立ち続け、着水の瞬間、水しぶきと同時に今度は空中にジャンプして、またまた船首に着地するという技をやってのけるのです。
父は、いつも真っ白のTシャツ・ズボン姿で、カッコよくジャンプを決めておりました。時には、船首への着地を失敗して水の中に落っこちちゃう船頭さんもいたりしましたけどね!(笑い)。そんなこんなで、ウオーターシュートは、乗ってはドキドキ、水しぶきもかかりスリル満点!! 見物していても、それはそれは充分楽しめるものだったと覚えております。」
大宮公園のウォーターシュートは、土台の櫓(やぐら)も滑走路も全て木製で、20メートルほどの滑走路が30度くらいの傾斜で櫓からおりていたそうです。階段ののぼり口を上ると櫓の上は屋根のある料金所で、そこを通過し いよいよ平底ボートに乗れるのですが、なんと!停車しているのは滑走路のてっぺんの為、もうすでにボートは前のめりに傾いて乗り込むのも恐る恐る・・・。さらにボートの中は板の腰掛けのみで手すりも無く、縁を「ギュッ」と握りしめるだけで自分の身体を支えなければいけない簡単なものだったそうです。
お客さんが乗り込んだら滑走路に水を流してすべりをよくし、船頭さんが船首に立ち、いよいよスタート!!その時々でスピードや着水の迫力もまちまち、水しぶきもかかりますがそれがまた楽しみで、合羽で覆うほどではなかったとのこと。着水後は、ジャンプの大仕事を終えた船頭さんがあっさりとボートをプールの縁に着け、お客さんを降ろし終了!!と、言いたいところなのですが、時々この後に、もうひとつの見せ場が待ち受けていることがあったようなのです。
当時、杉並在住の横手貞夫さんが、ご自分の刊行物『紙の軍艦』中で「ウォーターシュート」と題し、次のような記述をされています。(以下「」内は引用)
「係員を一番てこずらせるのが、(ボートを滑走路てっぺんのもとの位置に引き上げる為の)迎えの台車が池の中に落ちてしまうことだった。」
「台車は木製であったけれど、大きな鉄のフックや車輪をつけているから水より重くなってしまっていて きっと底まで沈んでしまう。誰かが水に潜って取って来なくてはならない。」
「お兄ちゃんが羽織っているものを脱ぐと、風呂屋の三助そっくりの白い腹巻と褌(ふんどし)が現れる。お兄ちゃんは見られているのを充分意識して、いちいちの動作が出初式の火消しみたいにきびきびしていた。
まさか水泳の飛び込みほど派手に振舞うわけにはいかないと見えて足から池に飛び込むのだが、このときも極く極く気楽に身を翻し、公園の柵でも跳び越すような身のこなしをしてみせた。
一旦水に入ると息を大きく吸い込み、迷うことなく水の中に姿を消す。三秒・・・五秒・・・充分じらしてから水面に首を出す。
これから後、かれは台車を抱えているので動きがにわかに鈍くなり、最後のひとふんばりで顔を紅潮させた次の瞬間、台車はめでたく線路の上に乗っているのだった。
見物人の間を声にならない安堵が広がり、こうして台車引き上げのパフォーマンスは無事終了となる。だから、ボート着水のとき船頭が大きく跳躍するのが見せ場なのか、台車引き上げでおにいちゃんが見せる裸の潜水が見せ場なのか、いずれとも決めかねる気味あいが、当時のウォーターシュートにはあった。」
いかがでしょう・・・。現在の私たちにとっては、どちらのパフォーマンスも当時の素朴さ溢れる感じがなんとも小気味よく、魅力に思えるものですね。
さてさて、そのウォーターシュートですが、誕生は1895年。アメリカ・ニューヨークの遊園地に「シュート・ザ・シューツ」の名称で、コースターの新趣向として作られたのが始まりで、12人乗りの平底ボートが水しぶきを上げて池に飛び込むスタイルが話題を呼び、そこから世界に広まりました。
日本では、1903年(明治36年)大阪で開催の第五回内国勧業博覧会に「飛艇戯」という名前で設置されたものが最初です。それは、英国グラスゴーの博覧会に設置されたものを模し、山の斜面を利用して作られた 高さ12メートル・全長95メートルの滑走路を 8人乗りの小艇が池に向かってすべり落ちるというもので、開催期間中 長蛇の列が絶えなかったといいます。
その後、1907年(明治40年)東京勧業博覧会などでの設置を経て、1927年(昭和2年)東京・練馬の豊島園に常設のウォーターシュートが誕生となりました。これは、今迄のものよりさらに高い 高さ20メートルのところから一気に水面めがけてすべり降りるもので、ものすごいスリルに大変人気が集まったといいます。このように、アメリカ発ウォーターシュートは、32年間かけやっと東京の豊島園に常設となるわけですが・・・。
みなさん、お気付きですか!?
この間、どの過程でのウォーターシュートの説明を見ても “船頭パフォーマンス” について書かれているものがないですよね?
初めて誕生したアメリカの「シュート・ザ・シューツ」にも、その後の博覧会のものにも、そして誕生当初の豊島園のウォーターシュートにも“船頭パフォーマンス”の紹介はないのです!
1936年(昭和11年)に豊島園で撮影された新聞写真にも、乗船し出発を待っているらしき華やいだ表情のお客さんたちの様子が伝わってくるボートの全体が写っていますが、その最後部座席には、乗船員らしき服装の人物の姿は見えても、“ジャンパースタイル”の船頭さんの姿はありません!!ということは「もともと、ウォーターシュートには、船頭によるジャンプパフォーマンスは無かった」のでしょうか!?
この仮説のもと、さらに調べてみると、驚いたことに、船頭さんによる着水の瞬間ジャンプするパフォーマンスが登場したのは、文献によれば「昭和の後半に入ってからでないかといわれているが定かではない」という記述があったり「豊島園では、1955年頃(昭和30年頃)から・・・」という説の記述もあったりで諸説紛々!(注:豊島園・広報には、この件に関する記録は残っていらっしゃらないとのことです。)
わが杉並・大宮公園のウォーターシュートが“船頭ジャンプパフォーマンス”と”台車引き上げ潜水パフォーマンス”でにぎわっていたのは昭和13年頃からのこと・・・。ということは、“船頭パフォーマンス”の産みの親は、大宮公園のウォーターシュート!?なのではないでしょうか。
これは、あくまでこれまで調べてきた中での私の個人的な発見ですが・・・。どうか皆さま、この件に関するご意見・情報そしてお写真などもございましたら是非お寄せいただければと思います。
もしかしたら、本当に大宮公園ウォーターシュートの偉大なる事実が立証されるかもしれません。そういえば「父は、サーカスっぽいことが大好きで・・・」と、岸さんもおっしゃっていましたしねっ。
お話しをしてくださった方々のご記憶によると、大宮公園のウォーターシュートは、昭和19年頃終了したようです。
豊島園のウォーターシュートは、戦中戦後を通じ施設の設備や規模が変わっていっても昭和42年まで活躍し、昭和30年頃から始まったといわれるジャンプパフォーマンスも最後まで話題を呼び続けました。
その後は、埼玉・西武園に場所を移し、そこでもまたジャンプパフォーマンスは健在で大人気を博しました。
そして、平成5年横浜・八景島シーパラダイスにこれまでの歴史を継承し作られたときには、全長70メートル 傾斜角度12度 最高速度46km/h の大スケールで、なんと海に突き出し設置されました。もちろんジャンプもよりダイナミックに!でも、残念なことに平成17年(2005年)、日本上陸から100年を越えその幕を閉じたのです。
ウォーターシュートが日本で活躍した102年間・・・。
その中のほんの一コマではあったかもしれませんが、わが杉並に存在してくれたのはとてもうれしく誇らしく思えます。
大宮公園ウォーターシュートは、櫓も滑走路もボートも遊具全てが手作りの木製。運行作業もまた人々の手による素朴なものでしたが、事故も無く6年程もの間楽しく運営出来たのは、「大宮公園に遊びに来てくださったみなさまに、安全で楽しいひと時を過ごしていっていただきたい」とそれだけを願い、一生懸命あらゆる作業を担ってきてくださった方々の温かい気持ちと努力の賜物だったと感じられます。ウォーターシュート万歳!!
<補足解説>
今回「日本上陸から100年を越えその幕を閉じたウォーターシュート」と締めくくり、ご紹介させて頂いた数々のものは、日本に伝わった当時からの、昔ながらの形式(様式)をとっていた伝統的遊機具としてのウォーターシュートです。
現在でも その面影を残しつつ壮大なスケールの絶叫マシンに成長を遂げ活躍しているものもあれば、長いアトラクションの中のドキドキ感ある行程の一部分としてその存在を示しているものもあり、ウォーターシュート系アトラクションは、今なお数多くの遊園地やテーマパークにて人気を博しております。