FC東京は2009年度より、杉並区上井草スポーツセンターの指定管理者として施設運営に携わることとなった。
この事業は、ただ単に施設を運営・管理することから一歩深め、地域と共生、つながりを持ち、情報を発信していき、スポーツから笑顔を届けられるよう「地域貢献の新たなチャレンジ」としてスタート(TAC・FC東京・MELTEC共同事業体として施設管理・運営を行っている)。
新たにたくさんの人たちにスポーツと触れ合う機会を提供するために、様々なイベントや教室を積極的に開催している。ここを地域スポーツの拠点と考え、スポーツを愛する人たちの笑顔の発信基地になるよう活動している。
1999年にJリーグに加盟したFC東京のホームタウンは東京都全域で、ホームスタジアムは2001年に竣工した調布市の味の素スタジアム(旧称:東京スタジアム)である。2010シーズンでは16位に終わりJ2に降格したが、2011シーズンにおいては「TOKYO SPIRIT~すべては勝つために~」というスローガンを掲げ、1年でのJ1復帰を目指している。
FC東京の主な事業
Jクラブらしい活動の一環として、サッカーを生涯スポーツと位置づけ、2歳児から中学生を対象にしたサッカースクールや大人のサッカー教室、女性を対象にしたレディースサッカー教室、65歳以上を対象としたシニアフットサル大会など様々な活動を行っている。
また2010年9月にオープンした「ゲートボール場兼小運動場」はtoto(スポーツ振興くじ)助成金を利用することで、これまでゲートボールのみだった施設をフットサルも利用できる施設とし、より幅広い区民が利用可能となった。
杉並区上井草スポーツセンターは、西武新宿線上井草駅から徒歩約5分、各種施設がある。
▼上井草スポーツセンター施設紹介
街にはためくフラッグの数々
上井草周辺や高円寺や浜田山、八丁通りなどの街路沿いにFC東京のフラッグ・ポスターなどが貼られているのをご存知だろうか?
これは、FC東京が商店街や地域とのつながりを杉並区へ広げていこうと行っている事業。サッカーを通じて、人づくり、街づくりに貢献していきたいとの思いを込め、地域の活性化につなげていきたいと考えている。
旗にプリントされたメッセージも場所によって違っているので、見かけたときに眺めるのも楽しい。1枚1枚のフラッグには、「杉並区の皆さんFC東京を応援してください。FC東京も杉並区を応援しています」という思いが込められている。
田邉草民(たなべそうたん)。1990年4月6日生まれ21歳(2011年7月現在)。身長175センチ、体重68キロ。卓越したボールコントロール、切れ味鋭いドリブルで相手守備陣を翻弄する攻撃的なMF(ミッドフィルダー)。
幼少期には左足でのドリブルも
保育園の時からボールを蹴り始め、利き足でない左足でのドリブルもこの頃には体得していた。子ども時代、阿佐谷西公園や馬橋公園でよく練習をしていた。東原中学校時代には、Forza'02に所属。関東大会を勝ち抜き、全国大会に出場。2005年、中学3年で日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会に出場。この他、U-15日本代表候補や同年度メニコンカップ出場選手の1人に選出された。
國學院久我山で学んだこと
2006年國學院久我山高等学校へ進学しサッカー部に入部。1年生で国民体育大会少年男子東京都選抜チームに選出されるも関東大会で敗退。
ある大会で、自チームが大差で勝っていた際にキーパーをかわして、誰でもゴールを決められる状況でシュートせず、ボールを取られてしまったことがある。このとき監督から「相手チームへの尊敬が足りない、相手も真剣にやっているんだから、ちゃんと敬意を持たなければならない」と言われた。普段プレイについては自由にやらせてくれた監督だったので、心に残る出来事だったそうだ。
プロになって
これまで自分の感覚を大事にして自由にプレーしていたが、要求されることが増え、守備、チーム全体のバランスを考えるようになった。プロ選手としてサッカーが仕事になり、楽しいということから、もっと上を目指せる場所を与えられることになった。プロはコンディションが全てなので、普段の生活から体調管理には気をつけている、という。
2011年J2第14節京都戦(西京極)で、自身「得意ではない」というヘディングでゴールを決め、これがプロ入り後公式戦初ゴールとなった。
「去年よりメンバーも揃っているし、チームの雰囲気もいい。応援してくれているファンの皆さんのためにもJ1復帰を目指してやるしかないと思っている。J1に昇格して、みんなと喜べるシーズンにしたい」と語る。
杉並区のサッカー好きの子ども達へのメッセージ
やっているうちにプロを意識したり、負けたくない!もっと上手くなりたい!と自然に考えるようになると思うから、とにかく楽しんでやって欲しい。