石川達三さんが、結婚と結婚生活について、夫の立場から描いた自叙的作品。結婚に否定的な考えを持つ主人公は、溌剌として悧巧な女、其志子に出会い心を動かされる。「ね、ね、掻(か)っ払っちゃえばいいのよ。」其志子の一言で意を決し、結婚へと突き進む。「奪わざる愛、与え育てる愛、それができなくては理想の結婚とはいえない。」理想を掲げ結婚生活に向き合ううちに、ほどなく其志子が懐妊。転居を考え、高円寺駅近くに理想に近い家を見つける。
石川さんは岡山から上京。会社勤務の後、小説家を志す。『蒼氓 』が、1935年(昭和10年)に芥川賞の第一回受賞作となり脚光を浴びた。結婚後、杉並の当時の馬橋に転居、長女が誕生。中国の戦場取材をもとに書いた意欲作『生きている兵隊』が発禁処分となるが、再起を期して再び戦場取材に赴く。この作品は、その時期の石川さん夫婦の物語である。『人間の壁 』『金環蝕 』『青春の蹉跌 』など、戦前、戦中、戦後を通し、生涯、人間の精神の在り方を社会との関係で描きつづけた石川さん。その誠実さが伝わってくる作品だ。
おすすめポイント転居先の小さな庭に大喜びし、早々に朝顔を植える。近所に空き地を見つけ、テニスコート代わりに使う。初々しい二人の姿は、当時、誕生しつつあった小市民層の、従来の考え方とは違う結婚観を彷彿させる。発表当時は戦争へと向かう時局がら不適切とされ、伏せ字入りで発刊された。だが、戦後の復刊後は、ことに若い世代に指示されてロングセラーとなった。昭和の初期、杉並に移り住み新生活をスタートさせた多くの人々の、若き日の夢と葛藤も知ることができる。