児童文学の世界で幅広く活躍された石井桃子さんの希少な長編小説。
二人暮らしだった母を看とり、都心の働く女性専用の女子アパートに移った明子。楽しみは休日の気ままな郊外散歩。その日は西荻窪駅で下車し荻窪駅方面への散策の途中、庭に烏瓜(からすうり)の朱い実が見事に実った民家に遭遇する。思わず見とれていると住人に声をかけられる。「あら、村井さん」。それは、明子の女学校・女子大時代の先輩、蕗子だった。生真面目な明子とは傍から見れば正反対の自由奔放な蕗子。卒業後は出版関係の仕事につき、新進気鋭の作家との不倫の噂も聞いている。明子はとまどうが、部屋に招かれお茶を共にするうちにすぐさま意気投合。休日ごとの荻窪通いが始まる。荻窪の市場で食材を仕入れてパーティ、編み物、夏には海辺の民家を借りての避暑。楽しい日々は続くようにみえたが、やがてそれぞれの置かれた立場が二人を遠ざけていく。
おすすめポイント
石井桃子さんが、この小説の執筆にとりかかったのは79歳の時。石井さんの青春時代、ことに若くして逝った親友との想い出を綴った作品といわれている(石井さんは、その親友の荻窪の家を引き継ぎ、生涯暮らすことになった)。石井さんは浦和生まれ。女子大を卒業後、出版関係の仕事に携わり、海外の児童文学作品に関心を持つようになる。小説には、病床の親友を喜ばせるために、石井さんお気に入りのお話、『Winnie-the-Pooh(※)』を翻訳して聞かせたエピソードも織り込まれている。明子と蕗子を通じて、日本が戦争へと向かう時代、不安な将来を予感しながらも溌剌と生きた昭和初期の杉並の女性たちの姿を彷彿させる作品でもある。
※『Winnie-the-Pooh』:A・A・ミルン作のイギリスの児童文学作品。石井さんの翻訳は『熊のプーさん』として昭和15年に発刊された。戦時中は敵国の作品とされ増刷されなかったが、戦後の復刊以降、ロングセラーを続けている。