近所の将棋仲間のアパート「望岳荘」の主人が急逝し、主人公はアパートの住人たちから思わぬ相談を受ける。主人の女房はとうに若い住人と駆け落ちし、男の子がとり残されている、アパートの地代も滞納、建物も抵当に入っており、このままでは、男の子も自分たちアパートの住民も、立ち行かなくなる。
相談のうえ、部屋代を踏み倒している元住民から家賃を取り立て当面の資金にあてる計画をたてるが、主人公は、七号室のコマツさんとともに、その取り立て役を引き受けることとなった。ふたりは荻窪駅から集金旅行へと向かう。
おすすめポイント
岩国、下関、博多、尾道…、訪ねた先々の、かつての「望岳荘」の住人たちは、東京とはまったく違った姿を見せ、地元で堂々と暮らしている。東京に残る者もいれば、郷里に帰る者もいる、作品の発表された昭和十年当時、地方から上京し、杉並に暮らした人たちのそれぞれの人生模様が味わい深い。集金旅行の最後の目的地は、福山近郊の村、井伏鱒二の故郷が設定されている。お屋敷でふたりを迎えるかつての文学青年に、東京での生活を諦めた場合の井伏鱒二のもうひとつの姿が描かれている。井伏鱒二の戦前、戦後にわたる、一連の大衆小説の出発点ともなった作品。人々の流れの絶えない都会の有様は現在もなんら変わらないことに気付かされる。登場人物たちのなかに、思い当たる人物を発見できるかもしれない。