高齢者福祉については、私たちにとって大きな問題となっています。
そこで高齢者福祉のさきがけとなっている、高井戸の浴風園の歩みを通して、これから私たちが、どのように高齢者福祉へ取り組んでいくべきかを紹介します。
大正12(1923)年9月1日 午前11時58分 関東一円を大地震が襲った。大震災は丁度昼食時だったため直後から火災を誘発し、大混乱に陥り被害は一層深刻なものとなった。
時の政府は東京府と府下4郡・埼玉・千葉に戒厳令を布き緊急処置をとるとともに地震の被害状況を調査したところ、家屋全焼38万余・全半壊17万5千、被災者340万余人、死者・行方不明者10万4千、総被害額65億円『資料明治百年(朝日新聞社編)』となった。当時の被害記録に高齢者の区分がまだないので、高齢者の被害の実態はつかめないが逃げ遅れや混雑に巻き込まれた老人は相当数になったに違いない。
地震発生直後から人々は山の手へ流れ、親戚知人宅をはじめ、小学校は一般の避難場所になった。『関東大震災』によると、下着一枚の姿に裸足で持ち物も無く飢え興奮状態の人や重い傷病者が多かった。被災者で身寄りの無い老人や地震で身寄りを無くした子ども達は急ごしらえの無料宿泊所や寺院に収容された。政府は巷にあふれた老人たちの処遇を内務省に命じ「大震災のため不具廃疾となり、また老衰者で自活不能かつ扶養義務者を失った者を保護する」と発表した。
内務省はこれらの老人の保護救済の立場から救済団体の設立に着手した。救済施設を作るならば一時しのぎではなく将来を見越した施設でなければならないと考え、この事業を地方自治体に委嘱した場合に専門的に取組めるか疑問視する向きもあり、結局単独法人を設立することに決まった。大正14年1月15日内務大臣の許可を得て「財団法人浴風会」が設立されたのである。
裏話になるが、実は「浴風会」案は第ニ案であった。第一案としてはすでに設立されていた、震災後の復興住宅を供給することを目的とした「財団法人同潤会」に委ねる案があった。しかしこれは途中で廃案になったらしく「廃案」という丸で囲まれた文字が記された稟議書が残っている。
会の名称は論語先進篇の中より浴・風の2字が選ばれた。「莫春者、春服既成、冠者五、六人童子六、七人、浴乎沂、風乎舞上?A詠而帰」
(註)「莫春には,春服既に成り、冠者五、六人童子六、七人沂に浴し、舞上?ノ風じ、詠じて帰らん。」
財団法人浴風会の基金は各宮殿下より救援金50万円、一般義援金の内150万円 合計200万円が内務大臣より交付された。
早速、救護施設建設の用地探しが開始された。敷地の選定には幾箇所もの候補が挙げられたと浴風会十周年史の記録にあるが、大正14年7月13日理事会記録に「前回の決議に係る駒澤村地内における敷地選定の経過報告したる後、府下下高井戸村内に変更選定の件を説明し之に可決せり」とあることから世田谷区駒沢が候補地の一つで一旦理事会で決定していたことがわかる。
変更になった理由については残念ながら記載や添付資料がないので、駒沢に何か問題があったのか、あるいは高井戸の方が良いことがわかったのか不明である。この頃のことについて、高井戸の古老に聞くと「現在大正生まれで大震災を経験した健在者は残念ながら居なくなっているのでわからないが、親の話を小耳に挟んで何となく聞いた程度の話では、事業者側は大震災が再び起こった場合を想定して、新設する施設は郊外に限定すると選定基準を設け、高井戸の場合は北に神田川があり南に玉川上水、丘陵で森林や畑もあり心安らぐ自然の風景に恵まれていたことが候補地になったのではないだろうか」。と言われている。
大正14年9月28日の理事会資料「浴風会敷地買収結果報告の件」によれば全敷地の約半分は第一土地建物株式会社から購入し、残りの半分は内藤貞雄氏外七名の地主から購入した。面積は総合計31,015坪6合7勺(約102,000平方米)購入費は330,113円5銭(要略)とある。
なお、購入当時の住所は高井戸村大字中袋で翌年高井戸町に変更された。
古老はあくまでも個人的見解とした上で、まとめ役として当時の高井戸村の村長だった内藤貞雄氏が地主側の言い分をよく聞きながら、間に立って事業者との交渉を円満にまとめ交渉が成立したのではないかと推測している。なお浴風園の存在は高齢化社会となった現在、高井戸のグレードアップにつながったという見方もあり、一方では社会福祉に対する理解者を多く育てているという地域性もあり、この地区では浴風園の存在を身近に感じられている。
昭和2(1927)年建設事業が開始されたが、施設建設計画や入居者処遇の理念はどうだったのだろう。
設計上留意した点は「収容人員を大にすること。設備は国内老人施設の模範を示すこと。収容者の処遇にベストを尽くすこと」などが盛り込まれ定員500名内100の病床を用意した。
設計者は東京帝国大学の内田祥三博士で安田講堂の設計者でもあり、大震災後の都市復興に強い感心をもった人としても知られる。当時の図面をご覧ください。現在でも当時を偲ぶことのできる建造物は本館・礼拝堂・池であり、今も健在である。平成13年に東京都選定歴史的建造物に指定された本館は安田講堂の面影をもっており、また礼拝堂も現役で仏教のお堂でありながらキリスト教様式がとられていて万人に受け入れられるよう設計の配慮がなされている。本館南側の池には中心にモニュメントがあり、人々のこころを和ませる静かな情景が広がっています。
在園者の6割が病弱者であることから創立に当たって家庭寮方式がとられた。一人の寮母を中心に部屋の掃除、庭の手入れ、風呂焚きに至るまで共同作業で、食事は合同の炊事場から運ばれてきた食事を食べ、睡眠をとる生活が営まれた。
浴風会の定款によれば、「会の目的は関東大震災による自活能力と扶養者のいない60才以上の老衰者を保護するのであるが定員に余裕のある場合は前項の条件に準ずる者を保護することが出来る」ことになっている。しかし会では、浴風園の仕事は老人に対して単に生活扶助をするだけで良いのだろうか、老人は誰でも心身ともに安らかな老後を望んでいるのではないかと世話する側の自問自答は続いた。精神的安らぎに重点を置く、今で言う心のケアの措置について話し合われ研究を進めた。昭和初期のことであり、先駆的な措置がはじまっていた。
そもそもわが国の老年医学には入沢達吉博士の「老人病」という著書があったが、その分野はあまり研究されていたわけではなく、老人病研究は昭和初期にようやく気運がではじめた。
心理学の分野でも先進諸国では研究されつつあったが、わが国では殆ど皆無と言っていい状態だった。その頃、昭和15年9月に養老事業協会主催の第一回実務者講習会が浴風園で開催された。いよいよ老人福祉の気運も高まってきたかに見えた矢先、昭和16年12月8日に太平洋戦争が勃発したのである。
戦時中の園内の模様は戦争の犠牲と言うべき食糧難と栄養失調が蔓延し、昭和16年中に170名もの死亡者を数えるという愕然たる状態を迎えた。昭和20年8月15日に発表された終戦の重大ニュ-スは老人たちに寮母を通して伝えられたが、戦後も食料不足の窮状は続き今では信じられない浴風園の悲惨な過去があった。
昭和26(1951)年日本医学会において浴風会病院の尼子富士郎医長は「老年者の生理病理の臨床」と題する特別講演を行い日本医学会において画期的な老人問題を提起し話題をさらった。この頃、動脈硬化や脳卒中の患者を寝たきりにさせて置くのではなく積極療法としてリハビリテーションを採用する気運の高まりに呼応して浴風園ではわが国に初のリハヒリテ-ション施設を設け、治療を開始していた。結果上々で、これが今日、高齢者だけでなく障害者などの全ての人びとに受け入れられるようななるとは当時予想もつかなかった。
昭和50(1975)年浴風会は300床規模の老人専門病院を落成させた。地域からは多大な期待がよせられるようになった。浴風会は、杉並区から地域福祉サ-ビス事業を受託することになって、杉並区の福祉の充実に協力を開始した。それまでは入居者のための浴風会であったが、これ以降は地域に対してのサ-ビスにも取組むことになった。
昭和62年1月新築された第二南陽園に高齢者在宅サービスセンターが併設され、杉並区委託事業の「短期保護事業」、「入浴サービス事業」、「機能回復訓練事業」が開始された。これにより、それまで病院と南陽園で行われていた「入浴サービス事業」と「短期保護事業」とは終了した。さらに昭和63年4月には「デイケアサービス事業」、「給食サービス事業(通所)」、「家族介護者教室の開催」の杉並区委託事業が追加された。平成3年4月南陽園が増改築されると、ここにも高齢者在宅サ-ビスセンタ-が併設された。
平成12年4月、介護保険法が発足すると、この法により事業切り替えが生じたこともあり、現在杉並区から直接委託されている事業は「地域包括支援センタ-事業」と「訪問給食事業」がある。その他「南陽園在宅サ-ビスセンタ-」(地域密着型認知症対応通所介護事業)、「第二南陽園在宅サ-ビスセンタ-」(通所介護事業等)、「居宅介護支援事業所」(ケアプランの作成)、「ヘルパ-ステイション」(訪問介護事業)がある。
また、この間、施設整備についても杉並区からの要請により、年を追って松風園、南陽園、第二南陽園、第三南陽園の新増改築工事が継続され、前記のような地域の社会福祉資源として拡充し、区民の利用が拡大された。
また、平成18年3月、杉並区と浴風会とは「福祉救援所の設置及び運営に関する協定」を締結し、災害発生時に杉並区の救援対策に協力することになり、区民の安心に寄与することとなった。
「関東大震災」江藤 淳著
「資料明治百年」朝日新聞社編
「浴風会六十年の歩み」社会福祉法人浴風会発行
「浴風会八十年の歩み」社会福祉法人浴風会発行