作家・林芙美子さんが杉並に暮らしていたことは、あまり知られていない。
大正15年、画家の手塚緑敏氏と結婚した彼女は、高円寺西武電車車庫裏(旧都電杉並線、現・都営バス小滝橋営業所杉並支所辺り)で新婚生活を始める。同年5月には和田堀の妙法寺境内浅加園に借家していた。本書は浅加園時代をもとにした短編小説である。
引越し当日、ビール箱で造った茶碗入れ、布団、包丁や金火箸に大根すりなどわずかな家財道具を担ぎ、5銭で2切れの鮭の切り身を新聞紙に包んで懐に入れ、5丁(約0.5km)先の新居まで、火葬場や大根畑、杉の森を突っ切ってゆく。
夫は壁にモディリアーニやユトリロの絵を飾り、家の周囲に咲き乱れる花々を描く。そんな夫を横目に、妻はお金の心配ばかりしている。売れない画家と小説家の卵、毎日の食べ物に困るような生活だが、そこには幸せな時間が漂っている。
おすすめポイント
新居となる浅加園は妙法寺境内に建設予定だった遊園地跡地で、ふたりは作業場に建てられたバラックで暮らしていた。残念ながら浅加園について残された資料はなく、彼らの家がどの辺りだったのかは不明である。
本書は浅加園時代に草稿。小説家・宇野浩二氏が絶賛し、文壇での評価が高まった。代表作『放浪記』も同時期に執筆された。また、短編『野麦の唄』には高円寺が登場。画家のモデルとなる主人公は駅近くの小さなアパートで暮らしており、夫婦の高円寺での生活を想像させる。杉並はある意味で、小説家・林芙美子誕生の地ともいえるのではないだろうか。