下井草駅南口から徒歩10分程の所にある、旧下井草村の鎮守。社名は神社の裏山にあった銀杏の大木に由来する。
創建については棟札(※1)に「抑当社勧請者元和二(1616)歳比、先祖外記造営(下略)」とあり、相州三浦氏(※2)の末裔、井口外記が勧請(※3)したと伝えられる。井口家は天正年間(1573-1592)に当地に移り住み、一族の多くは名主・年寄役などを務めた。一説には井草の地名も、井口姓を名乗った長佐衛門という人が「草分け長佐衛門」と呼ばれたことからついたともいわれている。
1828年に下井草村の氏子たちが奉納した「正一位 銀杏稲荷大明神(いちょういなりじんじゃ)」の大幟(おおのぼり)は、今も井口家に残されており、当時から稲荷信仰が盛んだったことをうかがえる貴重な資料である。
かつて、この辺りには田んぼが広がっていた。由来は定かではないが、五穀豊穣を願い、農耕の神である稲荷神社が祀られたのだろう。田んぼは住宅地となり、200坪程あったという境内も現在は社を残すのみとなった。
以前は毎年2月初午になると大幟を立て、井草八幡宮より御幣(※4)を戴き、御神酒や御供物をし、子供たちに赤飯を振る舞い、五穀豊穣・子孫繁栄を祈願していたが、近年は井口家を中心に元農家の人々が集まり、厳かに祭礼を執り行っている。
※1 棟札(むなふだ):棟上げや再建時に工事の由緒、建築の年月などを記して棟木(むなぎ)に打ち付ける札
※2 相州三浦氏(さがみみうらし):中世に活躍した相州(現神奈川県)の大豪族
※3 勧請(かんじょう):分霊を他の神社に移して祀ること
※4 御幣(ごへい):神祭用具のひとつ。裂いた麻やたたんで切った紙を細長い木に挟んで垂らしたもの
御神祭
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
主な行事
2月初午 初午祭
『広辞苑』(岩波書店)