1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲後から終戦までの、杉並の住宅地が舞台。地名は碌安寺町に変えられているが、細部の描写から舞台は善福寺だとわかる。
母と叔母と暮らす19歳のヒロイン里子は、急襲する爆撃機の恐怖におびえる先の見えない生活の中で、妻子を疎開させた隣人の市毛に恋をして大人になっていく。彼女の微妙な感情のゆらめきが、戦時下の住宅地のリアリティーあふれる描写を背景に描かれる。
著者は1932(昭和7)年生まれで、1965(昭和40)年に『北の河』で芥川賞を受賞している。この作品は1983(昭和58)年に執筆された。戦争を体験している世代ゆえに、当時の社会全体を覆っていた漠然とした不安と長く続く戦争への疲れを見事によみがえらせている。
2015(平成27)年の映画化(監督:荒井晴彦、主演:二階堂ふみ・長谷川博己)に伴い、文庫化され再び注目を集めた。
おすすめポイント
日常生活に深く入り込んだ戦争を、著者の筆は細部にまでこだわり再現し、読者をあの時代の善福寺界隈へいざなってくれる。子供の声が消えた街角には、油を採取するために植えられた大輪のひまわり。静けさの中に、戦争の影を感じる風景描写が秀逸だ。疎開や食料の調達など興味深いエピソードも多く、あの時代を知るためにぜひ手にとってほしい作品。ヒロイン里子の成長物語として読むこともでき、先のわからぬ時代だからこそ心の声に忠実に行動する彼女の姿は、すがすがしさすら感じさせる。