久我山の緑豊かな木立の中にある立教女学院。小学校から高等学校まである広い構内には、かわいらしいレンガ色の屋根の校舎が並ぶ。
正門を入ると左手にあるのが聖マーガレット礼拝堂だ。重い木の扉を開けると、高窓からやわらかな光が差し込み、祭壇に飾られた百合の甘い香りに包まれる。1932(昭和7)年に建てられた鉄筋コンクリート造りだが、天井の梁(はり)や床、長椅子などに木がふんだんに使われ、木造建築のような温かみのある空間が広がっている。木材は全て北米産のオーク材を使用。扉や調度品にはキリスト教にゆかりのある羊のモチーフなどが彫り込まれている。
設計は築地の聖路加国際病院などを手がけたJ.V.W.バーガミニ。建物の西側を礼拝堂の正面とする構造や半円アーチ型の入口や窓など、ロマネスク様式(※)を基調としている。建設にはアメリカ人のほか、宮大工を含む日本の職人たちも携わったという。
祭壇右手にあるパイプオルガンは2代目。礼拝堂の設立と同時に設置された1代目の老朽化に伴い、1998(平成10)年に入れ替えられた。伝統が受け継がれることを願い、1代目のパイプの一部を再利用して作られている。オルガンにとって大敵なのが日本の湿気や乾燥。日々のメンテナンスはもちろんだが、何よりも毎朝の礼拝で生徒が歌う聖歌、その歌声がほどよい加湿器となり、オルガンの音色を育てているというのもすてきな話だ。
※ロマネスク様式:11世紀から12世紀にかけて西ヨーロッパ諸国に広まった建築・彫刻・絵画の様式。教会建築を中心とし、石造りの厚い壁や半円アーチを持つのが特徴
立教女学院は1877(明治10)年、米国聖公会宣教師・日本聖公会初代主教ウィリアムズにより文京区湯島に創立された。1884(明治17)年、築地の外国人居留地に移転し校舎を建てるも、1923(大正12)年の関東大震災で全焼。翌年、自然環境がよいことなどから、かつての高井戸村久我山(現在地)に移った。1930(昭和5)年、米国聖公会夫人補助会からの寄付金を受けて本館と講堂が、2年後に礼拝堂が完成。震災の教訓から構造は当時最新であった鉄筋コンクリート造りとなった。
礼拝堂のほか本館(現高等学校校舎)と講堂もバーガミニによる設計。礼拝堂と本館をつなぐ廊下は天井を低くし、日常とは違う祈りの空間へと誘う。外観はクリーム色の外壁にブルーグリーンの窓枠が映え、手入れの行き届いた庭の草木をより美しく見せる。近年建てられた新校舎なども配色を合わせ、構内全体の調和がとれている。
建築から90年以上、今も変わらぬ姿でたたずむ礼拝堂。第二次世界大戦中は軍需工場となり、生徒たちが働く姿を見守っていた。床には今も油の跡と傷が残り、その歴史を物語っている。2006(平成18)年には、近代建築史上からも貴重なものであることから、杉並区指定有形文化財に指定された。2020(令和2)年の改修工事によって、耐震性がより強化され、照明もLED化されたが、歴史ある建物の姿かたちを変えないことを重視したため、何が変わったのかわからないほどである。戦時下を物語る床の傷も、歴史の痕跡としてそのまま残したという。
礼拝堂は生徒たちにとってもさまざまな思い出の詰まったかけがえのない場所。磨き込まれた床や椅子などからも大切に使われてきたことがわかる。クリスマス礼拝の日には、多くの卒業生が友人や家族を連れて懐かしい礼拝堂に集い、クリスマスキャロルやハレルヤ・コーラス(メサイアより)を歌っているという。卒業生には著名人も多く、シンガーソングライターの松任谷由実さんもその1人。中高校時代を過ごし、放課後には講堂にあるピアノ練習室で作曲していたという。
学校施設のため残念ながら普段は見学できないが、オルガンコンサートなどで区民に開放されることもある。公式HPや「広報すぎなみ」で情報を確認し、歴史に触れられる貴重な機会に出かけてみてはいかがだろう。
『聖マーガレット礼拝堂』学校法人立教女学院