東京の西の郊外で「西郊」、下宿を英語にすると「lodging」。西郊ロッヂングは、初代が文京区本郷で営んでいた下宿を1931(昭和6)年に荻窪に移転して始まった。移転時に建築された木造2階建ての本館と、1938(昭和13)年に増築された同2階建ての新館があり、共に2009(平成21)年に国の登録有形文化財に指定されている。
昭和初期の下宿といえば、ふすまや障子で仕切られた和室を間借りするものだったが、西郊ロッヂングには施錠できるドアの付いた洋式の部屋が導入された。床は米松(べいまつ)で張られており、今風に言えばフローリングだろうか。作り付けのベッドやクローゼットなども備えた、当時の最先端のおしゃれな下宿だった。内線電話までが各部屋に引かれており、ふるさとの家族から電話があるとおかみさんがつないでくれて、下宿者は部屋から通話ができたという。一般家庭でもまだ電話が珍しかった時代だ。
本館は、1948(昭和23)年に改装して新たに旅館「西郊」として営業を開始。下宿者たちの食堂だった場所が、現在はロビー付近となっている。1階には大広間があり、昭和30年代はプリンス自動車など荻窪界隈の企業の宴会でにぎわったそうだ。「当時はこの近くにも宴会場をもつ旅館や割烹が何軒かあり、出張や接待などで多くのお客様がいらっしゃいました。」とご主人の平間美民氏は言う。
その後、地方からさまざまな利用客を迎え、現在は遠方からの宿泊客のほか、木の建物の雰囲気を楽しむ都区内からの宿泊客も多い。和風旅館を希望する海外からの旅行客が、知人の紹介で宿泊することも年々増えている。
2000(平成12)年に賃貸アパートメントとしてリニューアルされた新館は、常に空き待ちの絶えない人気物件だ。真鍮(しんちゅう)のドアノブは、賃貸につき鍵交換が必要で取り換えざるを得なかったが、扉その他は新築時のまま。建物のまとうレトロな雰囲気から、現在ではモデルを使った写真の撮影場所などにも使われている。住む人の話では、時を経た天井の高い建物は時間の流れがゆっくりに感じるという。
青銅ドームをいただく建物が面する南北の道は、宰相近衛文麿氏の荻外荘(てきがいそう)に続く。平間氏の祖母の話によると、宰相の邸宅と都心との間を結ぶこの道を使者が頻繁に行き来していたそうだ。