『セメント樽の中の手紙』、『海に生くる人々』など、数々の名作で知られる葉山嘉樹(よしき)さんの1932(昭和7)年から1945(昭和20)年にかけての日記を再編集した本。社会の底辺で暮らす人々の立場から創作活動を続けた葉山さんの軌跡をたどることができる。葉山さんは、杉並との縁も深い。「文芸戦線」誌に発表した『淫売婦』で脚光を浴び、1926(大正15 昭和元)年、32歳の時、岐阜から杉並町上荻窪(現・西荻北)に移り住む(※1)。しかし、その後の昭和の恐慌 、そして戦争へと向かう時代、葉山さんが身を投じたプロレタリア文学運動(※2)や政治運動は、高揚するも分裂、そして弾圧により弱体化していった。家族を抱え困窮の杉並時代だったが、日記には、作品の朗読会、将棋の会、区議会の選挙の応援活動、妙法寺の縁日での露店など、文学、政治運動仲間や杉並の人々とのやりとりがユーモアあふれるタッチで記録されている。そこからは苦しいながらも飄々(ひょうひょう)と生きた葉山さんの姿が想像できる。また、省線(※3)に乗って新宿での買い物、近隣の小学校の運動会見学、紙芝居見物など、子煩悩だった葉山さんの二人の幼子との杉並での逸話もほほえましい。
おすすめポイント
船上作業、土木作業、農作業などの実体験をもとにした作品が多い葉山さんだが、杉並での経験から、都市部で暮らす低所得者たちの居住状況、居住権をテーマにした作品も発表している。『窮鼠(きゅうそ)』は、三畳長屋の住民たちを代表して家屋委員会の委員長をしている男が大家とやりあう話。大宮八幡宮近くの三畳長屋に暮らしていた友人がモデルになっている。『屋根のないバラック』は、家賃が払えず何度も立ち退きを経験してきた男が、家族のためにも家を持ちたいと、低予算で造れるバラックを建設する話。葉山さん自身がモデルになっている(※4)。本書と照合しながらこれら作品を読むとより楽しめるだろう。
※1 葉山さんは、上荻窪(現・西荻北)に転居以降、約8年の間に、高円寺(現・高円寺北)、高円寺(現・和田)、松ノ木(現・松ノ木)、馬橋(現・阿佐谷南)と現在の杉並区内を移り住んだ
※2 プロレタリア文学運動:プロレタリア(労働者)主体の社会理想、文学理想を掲げた文学運動。新感覚派の文学運動と並び、当時の文学運動の二大潮流だった。小牧近江、金子洋文らが創刊した雑誌「種蒔く人」を継承した「文芸戦線」が、運動の初期の中心的役割を果たした。プロレタリア文学運動に関わった文学関係者で、杉並にゆかりのある人は数多い
※3 省線:当時の鉄道省が管轄した国営鉄道の略称。葉山さんが子供たちと乗ったのは、中央本線
※4 葉山さんは、西田町(現・成田西、荻窪に編入)の善福寺川のほとり 、田端神社の社(やしろ)を対岸に見る丘陵地にバラックを建設し始める。しかし、完成間近になって屋根をつける資金が足らず、断念。さし迫った生活事情から、知人の誘いに応じて長野の鉄道敷設の工事現場に赴き、そのまま東京生活に終止符を打った。小説は、「人々は捨て身で生きてゐる。それでも生きて行けない時代なのだ。」と、主人公の憤激でしめくくられている
※本書は現在、絶版となっている