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観泉寺

戦国大名・今川氏ゆかりの静謐(せいひつ)な寺

観泉寺(かんせんじ)は、桶狭間で織田信長と戦った今川義元の嫡男(ちゃくなん)、今川氏真(うじざね)によって、1597(慶長2)年に建立された。当初は名を観音寺(かんのんじ)といい、現・杉並区下井草にあった。この寺を、氏真の孫の直房(なおふさ)が現在の杉並区今川に移して観泉寺と称し、当初は現・新宿区市ヶ谷にあった祖父・氏真の墓を改葬するとともに今川家累代の供養塔を安置した。なお、直房自身は現・新宿区市ヶ谷に長延寺を建立し、直房をはじめ今川家のほとんどが、現・杉並区和田に移転したその寺に埋葬されるようになったが、観泉寺には東京都指定旧跡の今川家累代の墓がある。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 歴史>杉並の変遷>今川氏に由来する地を区内に訪ねる

2018(平成30)年から始まったライトアップの幻想的な景色

2018(平成30)年から始まったライトアップの幻想的な景色

今川氏真夫妻の墓と今川一族の供養塔

今川氏真夫妻の墓と今川一族の供養塔

壮大な歴史、広大な領地

直房は幕府から領地として、井草村(上・下井草村)、上鷺宮村、中村の3カ村を与えられた(※左図参照)。そのうち直房が寄進した観泉寺の土地は、現在の杉並区善福寺一帯から環状八号線を超えて杉並区清水にまで及んだ。青梅街道の交差点に残る「八丁」の地名は、長さが八丁(現在の単位で約870m)の観泉寺の塀がそのあたりまで届いていたからだといわれる。青梅街道沿い荻窪郵便局近くの「薬王院」のある場所も、元は観泉寺の敷地内であり、ここで開かれていた寺子屋が杉並区立桃井第一小学校の起源となった。

当時の今川家の領地(観泉寺資料より)

当時の今川家の領地(観泉寺資料より)

自然豊かな境内

広い境内には、本堂、観音堂、宝塔などの由緒ある建物群が、錦鯉の泳ぐ池や樹齢80年を超える枝垂桜などに囲まれて点在する。見事な竹林もあり、京都のような風情を求めてロケも入るそうだが、拝観の際は節度ある態度でお参りをしてほしい。

竹林の一帯は夏でも涼しげ

竹林の一帯は夏でも涼しげ

ライトアップや地域のまつりで存在感

住職の田中法生さんは、家族を含めて祖父の代から4代続く桃井第一小学校の卒業生。「地域のお役に立てるなら」と2018(平成30)年に始めた境内の日本庭園のライトアップや、町会と共催するお祭りなどの際には近隣に住むたくさんの人が足を運ぶ(※)。

宗派 曹洞宗

本尊 釈迦如来像

※ライトアップなどの詳しい開催情報については、地域の掲示板やイベントちらしなどを参照

四季折々のたたずまいを見せる静かな境内

四季折々のたたずまいを見せる静かな境内

DATA

  • 住所:杉並区今川2-16-1
  • 電話:03-3390-0015
  • 最寄駅: 上井草(西武新宿線) 
  • 補足:荻窪駅から西武バス(荻13)ほか、「中央大学杉並高校」下車
  • 出典・参考文献:

    観泉寺提供資料「観泉寺の歴史」「今川氏と観泉寺」(非売品)

  • 取材:とりの
  • 撮影:TFF
  • 掲載日:2019年03月11日
  • 情報更新日:2023年05月08日