同人誌「青空」に関わりのある作家たちの、若き日々を回想した随筆。著者の平林英子さんは、「女人芸術」(※1)などで活躍した女流作家の草分け的存在だ。「青空」の創刊者の一人である夫の中谷孝雄さんを通して、作家の梶井基次郎、三好達治、外村繁、淀野隆三、武田麟太郎と旧知の間柄で、本書でも紹介している。
「青空」は、在京の旧制第三高等学校(現京都大学・岡山大学)出身者たちが1925(大正14)年に創刊した。「青空」の命名者は平林さんだった。本書中に「その翌日、又皆が集まったとき、中谷が窓をあけて空をみながら「『青空』はいいなあ」と云ったら、誰かが立上がって同じように空を仰ぎ、「うん、青空は素晴らしいよ」と云った。当時の東京にはまだ青空が見られたのだった」と、記されている。
梶井さんの「檸檬」など、数々の名作の発表の舞台となった「青空」だが、梶井さんは若くして亡くなった。残された同人たちも、離れたり、一緒になったり、激変する時代のただなかでそれぞれが波乱の作家人生を送った。「青空」創刊の頃から40年余り経ってから、平林さんは、そんな作家たちの足跡を丹念に描き出した。
「青空」に関わりのある作家たちは、杉並にゆかりのある人が多い。中谷孝雄、平林英子夫妻は高円寺・阿佐谷、外村繁さんは阿佐谷、淀野隆三さんは堀ノ内・東田・荻窪に暮らし、三好達治さんは上京しては中谷、平林夫妻の家に滞在していた。中谷さんと外村さんは、阿佐ヶ谷会(※2)の常連メンバーでもあった。
平林さんは、本書に自身の歩みもさりげなく盛り込んでいる。武者小路実篤さんの「新しき村」に参加した十代の頃から行動派だった。日本プロレタリア作家同盟(※3)の財務部で活動をしていた頃、また、中谷さんが中心メンバーだった「日本浪曼派」(※4)に当初参加した頃の逸話は杉並時代のことだ。日本プロレタリア作家同盟については、高円寺や、中央線沿線の同盟員たちの行き来の様子が描かれており、近代文学史と杉並との関係を考える上でも貴重な一冊だ。
※1 女人芸術:1928(昭和3)年、長谷川時雨が創刊した、作家、制作、スタッフ、すべて女性による文芸誌。女性解放を共通のテーマとし、数多くの女流作家が参加した。「放浪記」(林芙美子)は、当初「女人芸術」に掲載された
※2 阿佐ヶ谷会:中央線沿線の作家たちの親睦会。主なメンバーは、井伏鱒二、青柳瑞穂、太宰治、木山捷平、外村繁、小田嶽夫、河盛好蔵など
※3 日本プロレタリア作家同盟:1928(昭和3)年に結成された全日本無産者芸術連盟(ナップ)の文学関係者の団体。主なメンバーは、中野重治、蔵原惟人、立野信之、山田清三郎、小林多喜二、徳永直、宮本百合子、佐多稲子など
※4 日本浪曼(ろうまん)派:1935(昭和10)年、保田與重郎、亀井勝一郎、中谷孝雄たちによって創刊された。当初、日本文化の復興を掲げたが、次第に極端な国粋主義に転じた。創刊の頃、保田、亀井、中谷は、たまたま阿佐谷で近所に暮らしていた。初期の同人には杉並ゆかりの作家たちが目立つ