インド独立の志士「朝子」

著:笠井亮平(白水社)

戦前の荻窪に、インド独立運動家のアーナンド・モーハン・サハーイ夫妻と4人の子供たちが暮らしていた。サハーイは、イギリスの統治下にあった祖国を離れ、日本を活動の場としており、後にスバース・チャンドラ・ボース(※1)の側近を務めた。日本名「朝子」を持つ長女のアシャは、1928(昭和3)年に神戸で生まれ、日本の教育を受けた聡明(そうめい)な少女だ。異国の地で祖国の独立を夢見た彼女は、1945(昭和20)年、17歳の時にボース率いる「インド国民軍」(※2)婦人部隊に参加するため単身日本を離れる。
このノンフィクションは、老年期を迎えたアシャが著者に流暢(りゅうちょう)な日本語で語った半生と、『アシャの日記』(※3)を基に描かれたインド独立運動秘話だ。時代に翻弄されたアシャの数奇な運命に、インド独立に心血を注いだ活動家たちの闘いが交差し、彼らの祖国への熱い思いを伝えている。
著者は、南アジア・中国情勢の研究者。インドのデリー訪問時にアシャの存在を知ったのが執筆の始まりで、2年をかけて書き上げた。

おすすめポイント

アシャは、愛国心あふれるインド人であると同時に、昭和高等女学校(現昭和女子大学)に学び、『源氏物語』や和歌など日本の伝統文化に親しむ女性でもある。太平洋戦争中は空襲におびえる日々を過ごし、桃井第二国民学校(現杉並区立桃井第二小学校)に通っていた妹と弟は学童集団疎開を体験している。荻窪での生活になじみ、日本人と戦時中の受難を共にしたアシャ一家の存在が、読者にインド独立運動を身近に感じさせる。杉並とインドの歴史的な縁(えにし)を伝える興味深い作品だ。

杉並に眠るチャンドラ・ボース

アシャの人生を大きく変えたボースは、1945(昭和20)年8月に、台湾の台北(タイペイ)で事故死した。その遺骨は東高円寺駅近くの蓮光寺(※4)に安置されており、ネルー(※5)、インディラ・ガンディー(※6)、バジパイ(※7)といった歴代のインド首相が参拝している。作品中には、アシャの母親が安置場所が決まるまで遺骨を預かっていたエピソードの記載がある。現在でも多くのインド人が蓮光寺を訪れ、芳名帳に名を残している。ライターの取材時にも、大阪から来たという若いインド人カップルが熱心にボース像を撮影し、インド独立の闘士をしのんでいた。

※1 スバース・チャンドラ・ボース:1897-1945。インド独立運動家。武力によるインド独立を主張し、太平洋戦争(1941-1945)中は、日本を後ろ盾として独立闘争を展開した
※2 インド国民軍:日本軍の支援により、日本軍の捕虜となった英軍インド人将兵を主体に設立された、インド独立のための軍隊。1942(昭和17)年から1945(昭和20)年まで活動
※3 アシャの日記:アシャが日本語で書いていた日記を編集した書籍。2010(平成22)年にアシャの母校である昭和女子大学(旧昭和高等女学校)により発行(非売品)
※4 蓮光寺:杉並区和田3丁目にある1594年開山の日蓮宗の寺。1915(大正4)年に浅草より現在地に移転
※5 ネルー: 1889-1964。インドの初代首相
※6 インディラ・ガンディー: 1917-1984。インドの第5代、8代首相。ネルーの娘
※7 バジパイ: 1924-2018。インドの第13代、16代首相

DATA

  • 取材:村田理恵
  • 撮影:村田理恵
    取材日:2020年10月22日
  • 掲載日:2020年11月16日