杉並区は、原水爆禁止署名運動発祥の地としばしば評される。発端は、1954(昭和29)年に遠洋漁業船第五福竜丸が、南太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカの水爆実験により被ばくした事件だ。杉並区では、水爆実験反対の署名運動が党派にとらわれない全区民的な運動として展開され、大きな成果を上げた。そしてその活動は、世界的原水爆禁止署名運動の潮流を作り出していった。
この作品は、直接被害を受けていない杉並区でなぜ署名運動がそれほどの盛り上がりを見せたのか、戦前の住民運動にまでさかのぼり解き明かそうとした労作である。著者の丸浜江里子さん(1951-2017)は、杉並区民で元高校の日本史教師。退職後に入学した明治大学大学院で署名運動をテーマに修士論文を書き上げ、それを基に本書を書き下ろした。署名運動を横糸に、その前史を縦糸にして、杉並に生きた人々の活動の軌跡を描き出している。
丸浜さんは、膨大な資料に当たり、多くの当事者への聞き取りを行うことで、杉並の水爆実験反対署名運動がどのように展開されたかを詳細に再現している。あの時代の熱気と、暮らしを守るために運動に参加した人々の切実な思いが伝わり、今では知る人の少なくなった過去の出来事が近しいものに感じられるだろう。
また、1932(昭和7)年の杉並区誕生以降展開されたさまざまな活動の記録は、戦前の城西消費組合、戦後の婦人民主クラブ、重税反対運動など、あまり知られていないトピックも多く、杉並の住民運動史として興味深い。
戦後の杉並区政に刷新をもたらした2人の公選区長(※1)や、署名運動の支柱となった国際法学者・安井郁(やすい かおる 1907-1980)さんの、人となりや功績の紹介にも注目したい。リーダーの存在と、その意思を後押しする市民のパワーが歴史を作ってきたことを読者に語りかけ、印象に残る。杉並の過去を知るために必読の一冊だ。
署名運動で大きな役割を果たしたのが杉並区立公民館(※2)である。跡地には1991(平成3)年に、公民館活動を記念した「オーロラの碑」が建てられた。碑の由来についての案内文には、特筆される活動として署名運動が記されている。
1955(昭和30)年には、杉並の運動をたたえてイタリアの女性団体から「美しい旗」が贈られた。杉並と世界の平和への思いを通じた結び付きを今に伝えるパッチワークの旗は、杉並区立郷土博物館が所蔵し、館内に写真が展示されている。
▼関連情報
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※1 2人の公選区長:1947(昭和22)年に東京23区(特別区)が誕生し、区長は公選となった。初代公選区長の文芸評論家・新居格(にい いたる 在職1947.4-1948.4)は、23区で初の革新区長だったが任期中に辞職した。第2代公選区長の東京都水道局出身の高木敏雄(在職1948.5-1957.10)は、公教育を重視し、図書館や公民館の建設に着手した
※2 杉並区立公民館:1953(昭和28)年11月、現在の杉並区立中央図書館の北側に開館。署名運動で大きな役割を担った「杉並婦人団体協議会」「杉の子会」の活動の場だった。1989(平成元)年3月閉館。機能は杉並区立社会教育センターに移行した