instagram

悉皆屋・洗い張り

悉皆屋とは

街を歩いていて、呉服店のようだけど着物が陳列されてないお店がある、と思われたことはないだろうか。そこはよく「○○染物店」とか「○○京染店」という店名になっていて、「洗い張り、染物、染み抜き、生洗い、紋入れ、承ります」とあり、小紋の見本のようなものが陳列してある。
そこはいわゆる悉皆(しっかい)屋だ。悉(ことごとく)、皆(みな)という漢字が表すとおり、着物に関するあらゆる相談を受けつけてくれるお店のこと。だが悉皆という文字はお店のどこにも見当たらない。染みを抜きたいとか、白生地を染めたい、仕立て替えをしたいときなどに行く。悉皆屋はその着物を受け取り、長年の経験から状態を見極め、しかるべき職人さんへ処理を外注する。日本人は昔から着物を大事にし、手入れをしたり、リフォームしたり、リサイクルなどしてきたのだが、だんだんと着物を着る人が減るにつれ、杉並区でも悉皆業のお店はかなり少なくなった。だが、今でも主要な商店街には数軒存在している。着物で困ったことやわからないことがあったら、悉皆屋に相談してみよう。

悉皆屋の仕事

お店により多少違いがあるが、悉皆屋で受け付けている主な業務をご紹介しよう。
【生洗い(きあらい)】丸洗い、京洗いとも言う。着物をそのままの状態で石油系洗剤を使って洗うこと。
【洗い張り】着物の縫い目をほどいて、解いた着物を端縫い(はぬい)して反物の状態にし、専用の洗剤とタワシで洗うこと。その後は仕立て直しが必要。帯も洗い張りに出せる。
【お直し】寸法が合わない着物を着たいときに、裄(ゆき)を出したり、身幅を出したり詰めたりすること。
【シミ抜き】シミがあればシミを抜くだけでなく、濃い色に染め替えたりする場合もある。
【染め替え】反物で白生地を持っていたら、好きな色無地に染め、色無地を持っていたら、その色より濃い色に染め替えることができる。白生地に柄を入れることもある。
【紋入れ】紋の入っていない着物より家紋が入ったほうが格が高くなるので、新たに紋を入れたり、古くなって黄ばんだ紋をきれいにしたり、違う紋が入っている着物の紋替えをしたりする。

このような相談を受けるときには、着物に関するあらゆる知識を総動員して対処する。たとえば、この生地は相当古いが染め替えしても大丈夫か、この染みは落とせそうか、紋にも抜き紋と縫い紋があるがお客様のニーズにはどちらが適しているかなど、様々なケースがある。適切な判断ができるようになるには10年から15年ほどの経験が必要だと、ある悉皆屋は語っていた。現在、杉並区にある悉皆屋は二代目の方がほとんどである。

お客さんから受け取った着物をどう処理するか判断したあと、各分野のプロに仕事を依頼するが、その職人も、杉並区では少なくなっている。東京なら染色工場等が密集している神田川近くの高田馬場、早稲田、落合界隈などに出すことも多く、内容によっては京都に依頼することもあるという。

東京都認定伝統工芸士のいる染色工場

そこで、杉並区では珍しくなった染色工場にお邪魔し、オーナーの鈴木計男(すずきかずお)さんにお話をうかがった。こちらでは主に染替えと洗い張りを行っている。
職人であり、なおかつ経営者の鈴木計男さんは、昭和7年、新潟生まれ。昭和24年に中野の(株)佐藤染色工場に入門した。「戦後の食糧難の時代で、師匠も厳しかったけれど、技術を覚えるのは楽しかったですね」9年間の修行のあと独立。平成14年、故郷をあとにして五十年後、東京都伝統工芸士として認定される。

なにより「色」に忠実に
工場には、反物の幅に合わせ白生地を染める機械が大、中、小と並び、高温の染料が湯気を立てている。鈴木さんは時折、生地の一部を乾燥し色を確かめながら色見本と比べ、慎重に染料を足していく。濡れているときとでは色が違うからだ。生地を一反分染め上げるのに約1時間かかる。
色の微妙な具合や感覚を鈴木さんは「色味(いろあじ)」と言っている。染色で難しいのは、色見本どおりに白生地を染めたとしても、お客様自身のイメージする「色味」と異なる場合。いざ染めあがると、なんとなく違うと思われてしまうことがある。鈴木さんはなるべくお客様の感覚に近づけるため、お店に注文した方の年齢をこっそり尋ね参考にしている。また、道ばたの花を見たときには、どのように調合すればその色になるのか考え、微妙な「色味」を再現できるよう日々研究している。
今でこそ染色の機械があるが、昔はみな手作業だった。手が染まってしまうのはもちろん、指先が硬くなって亀の甲羅のようになったという。

機械から高温の染料が湯気をたてる

機械から高温の染料が湯気をたてる

洗い張り

染色の機械のとなりが、洗い張りの作業コーナー。昔は、各家庭に洗い張りの木の板があったものだが、今は木製ではなくウレタンを使用している。洗い張りの作業は基本的に、板と柔らかい毛、硬い毛のタワシ2個で行う。着物をほどき反物のようにつなぎ合わせ、専用の洗剤とタワシで洗う。ぬるま湯か水ですすいで脱水し、乾燥室で乾かすまでをこの工場で行う。着物の変色、色落ちを防ぐように生地に適した処理をするには、相当のキャリアが必要となる。クリーニング屋さんの丸洗いと異なる点は、洗剤に薬品を使うか使わないか。最近ではタンスに眠っている古い着物を洗い張りして、人形の着物として再利用しているお客さんもいるという。

貴重な技術

工場の中はお湯を使ったりするため室温が高い。鈴木さんは汗止めの鉢巻をすると気合が入り、仕事に集中する。すでに暑さには慣れ、気にならないそうだ。立ち仕事が長いその姿は背筋がぴんと伸び、贅肉などついていない。こうした厳しい職場環境のなか、まず仕事を覚えるのに5年。お客様のニーズに全て応えられるようになるまでさらに5年。そのような努力を重ねた結果、鈴木さんは、東京都の伝統工芸士(伝統工芸品の製造に従事する技術者のうち、特に高度な卓越した伝統的技術・技法を有する人)の認定を受けている。
その貴重で専門的な技術も、後を継ぐ人がいないのが現状。着物を着る人が減ったとはいえ、なくてはならない職業であるのは間違いない。鈴木さんは近くの小学校や中学校の生徒に、ときどき染色体験をさせてあげている。子どもたちが日本の伝統に触れることによって、技術が伝わるきっかけになってくれればと願う。

DATA

  • 最寄駅: 新高円寺(東京メトロ丸ノ内線) 
  • 取材:日暮美月
  • 撮影:TFF
  • 掲載日:2009年11月19日
  • 情報更新日:2016年03月31日