鎮守の森とは、神社周囲にある樹林のことです。古来、地域の自然を神様として祭った場所が神社であり、その象徴が鎮守の森だったのです。かつては各集落ごとにさまざまな神社がありましたが、明治39年(1906)にその数を減らすために行われた神社合祀令(じんじゃごうしれい)によってその数が激減しました。また敗戦は国民の神道離れとなって神社や鎮守の森に対する崇拝(すうはい)の念を薄れさせ、鎮守の森は荒れていきました。そして、その後の高度成長に伴う都市化の進展は神社へも押しよせ、駐車場となった森や、ビル街のなかで鳥居だけになった神社などが登場しています。幸いなことに杉並区に残る神社には、まだまだ森が残っているところも多く、境内に入るとしばしの静寂を感じられる雰囲気が漂っています。
鎮守の森は、戦前まで農村の祭事を通した文化の中心であり、住民の精神的な拠り所の象徴の役割を果たしていました。戦後、精神的な拠り所としての役割は薄まりましたが、都市化の進展した高度成長期以降は、生き物の緊急避難の場所としての役割を担ってきました。
杉並の都市化はあまりにも急激に進んだために、今までいた生き物は行き場を失ってしまったのです。そんな時にも、鎮守の森は昔からの生き物がいきながらえることができた大げさ(!)に言えば、杉並に住む生き物達の「ゆりかご」だったと言えるかもしれません。もちろん、面積や地形の制約もあって、そこに避難できた生き物は多くはないのですが、それでも、鎮守の森が都市の中でみどりの島となって生き物たちを支えてきてくれた役割が大きかったことには間違いないのです。
さて…、樹木学の立場から鎮守の森を見てみると、また別の発見があります。東京地方では、鎮守の森を形づくっている木の種類が、長い間にはシイ類やカシ類など常緑広葉樹(じょうりょくこうようじゅ)が主役になっていくということです。このことを植生(しょくせい)の遷移(せんい)といい、その最終的に安定した森の姿を極相林(きょくそうりん)と呼びます。大雑把に言って、日本では荒地の状態で土地を放っておけば、荒地→草原→落葉樹林→常緑樹林と進み、数百年もたつと立派な森になります。極相林となった森は人が何も手入れしなくても、その形のまま続いていく永遠の森です。鎮守の森は数百年単位の地域の自然の記憶が詰まった場所なのです。そう想って鎮守の森に立つとき、なにやらありがたい気持ちになってはきませんか!?