杉並区は区の名前に「杉(スギ)」が、また、松ノ木や梅里など木の名前がつく町名があったり、「トトロの樹(西荻窪)」があることでも有名です。
杉並区役所みどり公園課に勤務する樹木医の小田啓樹さんは、区内の緑化整備等を担当し区内の色々な樹木の観察や保護活動を支援しています。「すぎなみ学倶楽部」では小田さんに、区内の樹木にまつわるいろいろな話を寄稿してもらいました。ぜひ樹木のヒミツ・魅力を堪能ください。
まず、区の木が制定された昭和48年とは、緑にとってはどんな状況だったのでしょうか。高度成長期に伴う公害問題は一段落をしていましたが、区内の都市化は留まるところを知らず、このまま行けば区内の緑がすべてなくなるであろうことが明白になってきた時代でもありました。
そんな中、緑の保護と育成を目的として、緑の条例は制定されたのです。その前文にはこう書かれています。「近年の都市化の進行は、豊かな自然の恵沢を忘れて、その破壊を進め、我々の健康で快適な生活環境を損なおうとしている。(中略)ここに、杉並区は、スギ、アケボノスギ、及びサザンカを「区の木」として定めるとともに…(後略)」と、ここで杉並区の木について定めています。
当時、区の木の選定にあたって行われた区民アンケートでは、当然、区名にある「杉」が第一候補に上がっていました。杉並区という名は、かつて四谷丸太を産し、江戸から昭和初期までの東京の後背地としての杉並木が広がる頃のイメージから来ていることは皆さんご存知のとおりです。
しかしながら、杉は水分豊かな土壌と清浄な空気を好む樹木であったため、大気汚染に弱く、都市化の進んだ杉並の環境ではその生育は難しくなっていたのでした。そこでヒノキ科のアケボノスギ(メタセコイア)が注目されたのでした。
アケボノスギは関東ローム層である杉並区の土壌とも相性が良く、大木になることから学校や広場に植えられました。阿佐ヶ谷駅前広場でもその雄大な姿を見ることができます。また、アケボノスギは生きた化石とも呼ばれ1945年に中国の四川省で発見され、その後、アメリカで増殖された苗木が世界各地へと供給されました。英名Dawn redwoodにちなむ日本名「曙杉」の名づけ親の植物学者木村陽二郎博士(1912~2006)が区内に住んでいたことも何かの縁だったのかも知れません。