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平岩道夫さん

アフリカに惚れてしまった

平岩道夫さんは大変エネルギッシュな方だ。77歳になる現在も年に数回はアフリカを訪れ、動物の写真を撮り続けている。アフリカの野生動物たちの写真を展示している「平岩ポレポレギャラリー」(青梅街道沿いの高円寺プラザ9階)は入場無料で一般に開放。アフリカという大自然の中で生きている野生動物たちの写真は、大切なことを私たちに語りかけているようだ。そんなギャラリーで平岩さんにお話を伺った。

平岩さんが初めてアフリカを訪れたのは1972年。海外旅行が自由化された8年後のことだった。
「初めて羽田からケニアのナイロビまで直行便が就航した際に、報道陣として招待されたんです」
当時、平岩さんは「平凡」という当時日本一といわれた芸能雑誌の記者だった。そのかたわら新聞、月刊誌など18誌に連載を持ち、海外を飛び歩いて50冊以上のガイドブックを書くという仕事人間。睡眠もままならぬ大変忙しい日々を送っていた。ところがマサイ族の村では電気もガスも水道もない生活を送っている。ケニアでは二言目には「ポレポレ」と明るく声をかける。これはスワヒリ語で「ゆっくり、のんびり」を意味するとのこと。この言葉で平岩さんは人生観が一変。「アフリカのことが大好きになりましてね。彼らと接して『そうか、人生は一回、生きているうちは楽しまなければ。これからは毎日楽しく生きよう!』と。それで仕事を整理し「ポレポレ精神」で生きることに決めたんです。」

アフリカの思いを熱く語る平岩道夫さん

アフリカの思いを熱く語る平岩道夫さん

アフリカからひとつずつ大切に持ち帰ったマサイ族人形

アフリカからひとつずつ大切に持ち帰ったマサイ族人形

切手収集家としてのスタートが発端で

動物写真家の他に海外評論家、切手評論家、著述業の肩書きを持つ平岩さん。そのすべてが片手間ではなく、それぞれのジャンルで頂点を極める活躍と実績を残されている。
平岩さんのキャリアスタートは中学時代。切手収集家として日本最初の「郵便友の会」を立ち上げ、日本全国20万人の組織を作り上げた。驚くことに学生時代から12冊の切手の本を書いていたという。
「中学生になって英語の勉強をはじめ、漠然と海外に興味を持つようになったんです。外国の中学生はどんな生活しているのかなと。英語で色々な国の中学生と文通ができれば、と思ったのがきっかけです。僕の海外志向は中学時代からすでに始まっていたのかな」
そんな平岩さんの思いが中日新聞に掲載されて希望者を募ったところ、600人の小中学生が応募。それがきっかけでペンフレンド運動が広まり、当時の郵政関係者のバックアップによって全国に20万人の会員ができたというから驚きだ。中学生の頃から平岩さんはすでに著名人だったわけである。この文通運動が縁で大学時代に当時日本で一番売れている雑誌といわれていた「平凡」の岩掘社長と出会い、ユニークな活動ぶりが認められ、それが縁で「平凡出版」に入社。週刊平凡や平凡パンチの創刊に関わり、忙しく充実した日々を送っていた。

アフリカに魅せられたきっかけ

1964年に海外旅行が自由化され、すぐに平岩さんは香港へ。当時はガイドブックはJTB(当時は日本交通公社)1冊しかなかったことに目をつけた平岩さんは自費で取材、写真、編集と一人三役をこなして国別ショッピング、レストランガイドなど旅行案内書を出版、これまでに香港、台湾、韓国、イタリア、フランスなど次々に出版し、ベストセラーになった。そんな忙しい日々を送る平岩さんに転機が訪れたのが1972年。生まれて初めてのアフリカ行きだった。羽田を出発、様々な都市を経由して36時間かかってやっとケニア・ナイロビに到着。まず「ナイロビはビルが林立した大都会」ということに驚いたという。
「ライオンや象はどこにいるんだ?なんて叫んだくらい無知でした(笑)。それなのに要人と会うからと背広にネクタイをしてキリマンジャロの麓にあるマサイ族の村に着いたら、そこは電気もガスも水道もなし。いきなり村のムゼー(長老)から『お前は何人の妻がいるのか?』と聞かれたので『一人です』と答えたらムゼーが絶句。『かわいそうに!』と僕に同情してくれたんです。通訳の人に理由を聞くと『一人の妻しか持てないほど貧乏しているのか』ということらしくて。当時の僕は一夫多妻制度のことも知らないほど無知だったのです」
しかも時計をせかせかと見ている平岩さんにムゼーは「ポレポレ」と諭してくれた。「この言葉にグッときましてね。それまでの僕は全く正反対の生活を送っており、忙しいのが勲章だと思っていましたから。大草原の動物たち、ゆっくり360度見渡しても障害物のないアフリカで暮らせたらいいなぁ、なんて思いました」
そんな思いは長女・雅代さんにも伝わる。「小学生の時に父がアフリカの大草原で撮った野生動物の写真を見てとても憧れたんです。それから父の事務所で手伝いをするようになり、そこで父からもらったお小遣いを『アフリカ貯金』として貯め、高2の時に初めて「第一回平岩アフリカツァー」実行委員として参加させてもらいました」と話す雅代さんは現在はアニマルフォトグラファーであり、トラベルライター。そんな雅代さんはもちろんのこと、家族全員がアフリカに魅せられ、ポレポレ精神を受け継いでいる。

平岩道夫さんと長女・雅代さん

平岩道夫さんと長女・雅代さん

ポレポレ精神が元気の源

ポレポレギャラリーはマンション(高円寺プラザ9階)の3LDKを改装して梅里に2004年10月オープン。平岩さんは結婚した1958年から杉並在住であるが、自宅から近い、地元の方々にも親しんで欲しいということでこの場所にしたという。居間、トイレ、バスルームまでの壁一面に野生動物、風景などの写真パネル、民芸品が並ぶ。特に象の写真からは親子の絆の結びつきが伝わってくる。渡航の度にひとつひとつ丁寧に持ち帰ったという民芸品の数々、3LDK全体にアフリカが広がり、窓からは富士山も見える。なんだかこちらまでのんびり、ゆったり「ポレポレ」という言葉がぴったりの居心地の良い空間である。
ちなみに道夫さん、雅代さんは現在親子で活動されているが、野生動物の密猟防止のために400台もの双眼鏡を寄付されたり、マサイ族の子どもたちのために平岩スクールと呼ばれる学校を建設し、それらも支援されている。維持費はすべて出版した写真集、本の印税、講演会の謝礼、ラジオ・テレビの出演料などで賄っているという。その活動が認められ2004年にはケニア政府より外国人としては初めて「観光親善大使」の称号を授与されるなど、ますますアフリカとのつながりは深くなってきているようだ。
最近は杉並区立小中学校からも講演の依頼を受けることも多いという。「子どもたちには広い世界観、そして人との縁を大切にして欲しいと話をしています」。
切手収集少年だった中学時代、それがきっかけに色々な道が開けてきたという平岩さんの言葉は、子どもたちにとっても、とても説得力があるのではないだろうか。

ベンソンH.O.オグトゥ駐日ケニア大使と一緒に

ベンソンH.O.オグトゥ駐日ケニア大使と一緒に

取材を終えて

平岩さんはとにかく笑顔が素敵だ。柔和な笑顔で「こんなに素晴らしいことはないですよ」「こんなに幸せなことってないですよね」という言葉が数多く出てくる。その言葉がまた人を呼び、人との輪ができ、縁としてつながってきているのではないだろうか。
また取材中、筆者が不明な日時などを質問すると「あれはいつだっけなぁ?」と平岩さんがいうと雅代さんがサッと資料を出されて「●▼年ですよ」と的確に答える。雅代さんはアニマルフォトグラファーであるのは前述した通りだが、平岩さんの有能な秘書でもあるのだ。この取材後、数日後に元気に148回目のサファリツァーに出発された平岩さん父娘。まだまだアフリカの扉は全開、また素敵な写真がギャラリーに飾られることだろう。

平岩道夫 プロフィール
1934年名古屋市生まれ。アフリカの野生動物を撮る写真家として活躍中。芸能雑誌「平凡」編集記者を経て、日本初の切手評論家、海外旅行評論家でもあり、アフリカ好きの日本人を130回以上にわたり延べ3600人以上運んだ「サファリツァー」の講師兼コンダクターでもある。2004年よりケニア観光親善大使。これまで30万点撮影した写真から28冊の写真集、エッセーを出版。それらの印税すべてをマサイ族の小学校設立(平岩スクール)支援に使っている。結婚以来ずっと梅里在住。

DATA

  • 住所:【平岩ポレポレギャラリー】
    杉並区梅里2-25-13高円寺プラザ910
  • 電話:03-3316-6234(平岩道夫事務所) ※事前連絡要
  • 最寄駅: 南阿佐ケ谷(東京メトロ丸ノ内線)  新高円寺(東京メトロ丸ノ内線) 
  • 取材:高橋貴子
  • 掲載日:2012年03月15日