毎日元気一杯に和太鼓を教えている河野さんは、高校時代から「和」の文化に関わる仕事をしたいと思っていた。高校卒業後、いろいろな祭りの下準備をしながら全国を回るうち、気づいたら心は定まっていた。
「太鼓打ちになりたい!」
こうなると誰かに入門して教えを請いそうなものだが、河野さんはアルバイトを重ねて練習用の太鼓を3つ購入する。そして一緒に太鼓を叩こうと周囲に呼びかけた。集まったのは、無料で肩こりが治せると考えたような中高年が約70人。太鼓は足りなくなり、車のタイヤで代用した。「私はまだ19歳で、年上の方たちにどう接すればいいかわからなかったし、大変でした。」しかし苦労した分、太鼓を楽しんでもらう喜びを知った。
さらに河野さんがタダモノでないのは、自分で打つ太鼓を自分で作る点だ。「やってみないと気が済まないから」と笑うが、太鼓は木をくりぬき、牛の皮をなめし、張り、縄で絞め…と、たくさんの工程を経て完成する。「それぞれの工程に職人さんがいて、女人禁制のような世界。やらせてくださいと頼んでも断られるばかりで。半年が過ぎた頃にやっと、そこまで言うならと、工程の一部をする許しが出ました。」
ここから数年をかけてたくさんの縁がつながり、牛の屠殺場へ行くまでになった。殺気立つ牛もいる中、その体に手で触り、皮の状態を感じ取る。脂がのりすぎていても傷があっても太鼓の皮にはできないのだ。しかしさすがの河野さんも、剥いだばかりの皮を初めて目の当たりにした時は、生きていた牛が「皮」になったという事実に圧倒されて身体が震えたという。「頭と心のバランスが崩れ、食べ物を受けつけなくなって2ヶ月で8キロ痩せました。」ただ、この経験が「命をいただいて叩く」ことへの意識を強めることになる。木や牛に感謝し、神様に還し奉るという想いをこめて太鼓を打つようになったそうだ。
やがて、桁違いに太鼓好きな元気娘がいるという噂を聞いたプロから声がかかり、河野さんはその内弟子となった。初めての女性の弟子に兄弟子たちも最初は戸惑ったようだが、貪欲に取り組む姿勢に影響され、一緒に練習してくれるようになった。注目すべきは河野さんが内弟子生活をつらいと思わなかったことだ。苦しさより楽しさの方が勝っていたという。太鼓に触れ、上達することが無上の喜びだったのだろう。
しかし師匠に付いて公演をこなしていくうち、独自の太鼓を追究したいという気持ちが膨らんでいく。意思を告げると師匠は「遠回りになるけど、やってごらん」と言ってくれた。こうして独立し、先に上京していた家族に合流する形で荻窪に転居した。2004年のことである。そして自分の実力を確かめようと応募した東京国際和太鼓コンテストで予選を勝ち抜いて入選。これを機に2005年6月、「和太鼓教室 龍」を立ち上げた。
太鼓で生きていくと決めた河野さん。生活の安定のためにとアルバイトをすることはなかった。二足のわらじを履くと気持ちがブレるからだ。それでもフッと「続けていけるだろうか」と弱気になった時、母親が言った。「ダメになったら出直せばいい。」
この言葉に背中を押され、教室の活動の場を広げようとあちこちに働きかけを始めた。しかし門前払いされること数知れず。「それでも、太鼓ができなくなることに比べれば何も怖くなかった。最初の1年は、もうダメかと思うと誰かが何かのチャンスをくれるという繰り返しでした。」
やがて杉並公会堂のリニューアルイベントや地元商店街のイベントに呼ばれるようになり、教室の基盤は固まった。現在は3歳から70代までの生徒がいる。礼節を重んじるレッスンだが、いつも笑い声が絶えない。
河野さんには危機感に似た思いがある。「日本人なのに和太鼓に関心のある人が少ない。和太鼓を日本人に根づかせたい。打つ人も、見て楽しむ人も増やしたい。それにはまず太鼓を好きになってほしいんです。」
自身の教室で教えるだけでなく、杉並区内の中学校で部活動を指導したり、都内の高校・大学で授業も行ってきた。
そんな多忙を極める河野さんにとってのリフレッシュは、やはり太鼓なのだという。「確かに忙しいけど、十代の頃に憧れた『寝ても覚めても太鼓のことを考えている生活』だから苦じゃない」という笑顔は充実していた。
取材を終えて
「なぜできないか」より「どうすればできるか」を考える河野さんは、とにかくパワフル。この強さは天職にめぐり逢えたからこそ。これからは太鼓で人と人を繋いでいきたいという。この笑顔なら叶うと思った。
河野陽子 プロフィール
1976年大阪府生まれ。 高校卒業後、祭りに携わる仕事をする中で和太鼓奏者になると決意し、自費で太鼓を揃えて体験会を始める。一旦はプロ集団に入るも自分なりの道を求めて独立。独学で腕を磨きながら国内外で公演を続ける。2004年に上京。2005年に東京国際和太鼓コンテストで入選したことを機に、荻窪で「和太鼓教室 龍」を開く。現在はこの教室の他、ボランティア活動や公演、イベント出演にと全国で活躍中。2015年、大きな転機を迎える。より深く向き合い新たな太鼓人生に大きな決断をする。そして2016年、新スタジオを竣工。新たな和太鼓教室をスタートさせる。