西森真二さん

夢を追い求めて西荻窪へ

JR西荻窪駅の南口、乙女ロードの奥に、ちょっと気になる店構えの靴屋がある。靴屋といっても、既製品を売っているわけではない。丁寧な靴の修理と、自分だけの靴をオーダーメイドできる靴工房だ。
だが、なぜ熊本出身の西森さんが西荻窪に店を構えることになったのか? 「最初は吉祥寺などの繁華街に店を出すことも考えました。でも立地のいい場所は当然、家賃なども高くなってしまうんですね。」それは、お客さんからいただく料金に少なからず反映されてしまうのだ。たくさんの人に笑顔になってもらうには、それではいけない。
そんなときに、何気なく訪れたのが西荻窪の街だった。「ほとんど、ひとめぼれみたいな感じでしたね。乙女ロードは、他の杉並区や都内の商店街に比べるとナショナルチェーン店が少なく個性的なショップが多いからか、人気もあって人通りも多いようでした。」
この場所なら「靴」を通して、たくさんの人と触れ合える店が開ける、それは直観のようなものだったらしい。そのまま話はとんとん拍子に進み、念願の工房兼ショップをオープン。しかし西森さんは、以前から靴や靴づくりに興味があったわけではなかった。

靴との「出会い」

当初広告代理店に勤めるサラリーマンだった西森さんは、常に新しいものに興味を持ち、深夜まで仕事に没頭する毎日。ただ、心のどこかで疑問を感じていた。
「もっともっとクリエイティブな仕事をして、自分の可能性を試してみたかったんですね。」そこである日、会社の社長に「自分は社長になれるでしょうか?」と突拍子もない質問をしてみた。社長は「無理だよ」と苦笑。ここで西森さんの覚悟が固まったのだという。
だが会社を辞めても、すぐにまた悩んでしまった。いったい自分は何をやりたいのか、何をするべきなのか? 考え抜いた末、自分を、そして人間というものをもっと足元から見つめ直すべきだという結論に行き着いた。足元には「靴」があった。西森さんは思い切って「路上靴磨き」から再出発することになった。

靴はその人を映す鏡だった

「路上靴磨きをはじめたころは、何だか妙に気恥ずかしかったんですよね」と振り返る。「自分で選んだ道なのに、なぜ会社を辞めてこんなことをしているのだろう」とも考えたという。
けれども靴を磨きながら、営業畑で17年間鍛えたトークでお客さんと会話をしているうち、次第にこの仕事に面白味を感じるようになっていったそうだ。靴はその持ち主を映す鏡などと言われるが、それを実感するようになった。同時に、靴というものに愛情を感じ始めていく。
あるとき、ひとりの客から「靴の修理はしてくれないのか?」と訊かれた。その何気ない一言に衝撃を受けた。「そうだ、靴は消耗品なんかじゃないんだ。やるなら、とことんまでやらないと意味がない」と考え、手製靴について学ぶために学校へ通い、さらには靴修理のノウハウを習得するために大阪で修業を積んだ。そこで得たスキルを活かすうちに、靴への関わり方や愛情がさらに広く、深くなっていく。
靴はその人を映す鏡。汚れているならピカピカに磨いてあげたい。壊れているならしっかりと直してあげたい。靴を通して人々に笑顔を届けたい。そう決心した西森さんは、自分だけの工房を立ち上げる決意を固めた。

気持ちは必ず伝わる

西荻駅から徒歩5分。近いとも、また遠いとも言える微妙な距離に、工房を備えたお店をオープンしたのが2013年12月。「果たしてお客さんは来てくれるのか、やっぱり最初は心配でしたね。」そんな不安をよそに、少しずつ顧客は増えてゆく。西森さんは「靴に対する気持ちが、お客さんに伝わったのかもしれません」とその理由を分析する。よそのお店で修理を断られた靴でも、喜んで修理する。靴を大切にしたいというお客さんの気持ちに、何とかして応えたい。やがて天草製作所のもうひとつの柱である靴の製作も、じわじわと人気を集めていった。

たった一足の靴のために

靴を製作する、と言っても、その工程は実に複雑で長期に渡る。
まずは依頼主の要望を聞きデザインし、そして足型をとるのだが、靴底の形だけではなく足首から下、足全体の寸法をとり、それに合わせて木型を製作することから始まる。
その木型に合わせて靴を製作するわけだが、それだけでは完璧ではないと西森さんは考えている。なぜなら「足の形は日々、少しずつ変わります。体調によってはむくんでいたりするわけですから。」では、どうするのか。「とりあえず作成した仮の靴をお客さんに渡し、実際に生活してもらうんです。」その期間は、長いときは一ヶ月にも及ぶと言うから驚きだ。店の中で少し履いただけでは、靴との相性はわからない。「お客さんの日常に靴を持ち込むことで、革のどの部分に負担がかかっているのか、また靴底はどのようにすり減っているのかなど、実に様々なことがわかってくるんです。」
それらをフィードバックして「本番」の靴の製作に取りかかるわけだ。こういった工程を経ているため、当然のことながら靴の製作に量産はきかない、そして大変に時間がかかる。それでも西森さんは、このやり方を変える気はないらしい。「靴は履く人を映す鏡なのだから、その鏡が曇っていてはならないんです。」
最後にちょっと意地悪な質問をしてみた。こちらのお店で作ってもらった靴は、どれぐらいの期間、履けるんでしょうか?「一生、履いていただけます。壊れたら、うちで修理できます。」そう言って西森さんは胸を張った。精魂こめて作った靴だからこそ、それだけの自信があるのだろう。

取材を終えて
印象的だった西森さんの楽しそうな様子。目指す方向がわからないまま脱サラし、言葉にできないほどの苦労を重ねてきたはずなのに、それを微塵も感じさせない。それは、ようやく自分の進むべき道を見つけたからこその笑顔なのだろう。夢の大切さ、そして笑顔は連鎖するのだということを学んだ。

西森真二 プロフィール
昭和44年(1969年)、熊本県出身。
広告代理店勤務ののち、よりクリエイティブな活動を目指し退社。靴磨きや靴修理の修業を経て、平成25年に西荻窪に念願の工房『天草製作所』を開業。店名は出身地の熊本県天草市にちなんだもの。
平成27年にはニューヨークに店を出すことを目標に活動中。

DATA

  • 住所:杉並区西荻南2-7-5
  • 電話:03-3334-6822
  • FAX:03-3334-6822
  • 最寄駅: 西荻窪(JR中央線/総武線) 
  • 休業:水曜
  • 補足:日曜日 ~19時まで
  • 公式ホームページ(外部リンク):http://www.amakusafactory.com/
  • 取材:阿佐ヶ谷太郎
  • 撮影:小泉ステファニー 西森真二さん提供
  • 掲載日:2014年07月28日