細田工務店は、阿部さんの父・細田茂氏の創業に始まる。1947(昭和22)年のことである。「父は徳島県出身です。大阪で大工修業ののち上京して中野区雑色(現在の中野区南台)に細田工務店を起こし、木造注文住宅事業に乗り出しました。」と阿部さんは語る。
終戦後の首都復興に住宅建築で貢献し、1957(昭和32)年に株式会社に組織変更。その後、1960(昭和35)年に阿佐谷南1丁目に、1991(平成3)年には現在の阿佐谷南3丁目に本社を移転した。
昭和40年代には、業界にさきがけてプレカット工法(※)を導入し、良質な住宅を量産できるシステムを確立。用地取得、設計、施工、販売、アフターサービスまでの工程を社員自らが行う自社一貫体制のもと、地元・杉並区を中心とした土地付分譲住宅事業で躍進する。
独自に建具や家具の製造にも着手し、昭和50年代には事業エリアを東京近郊や東北地方に拡大、ピーク時は年間1200棟を建設。昭和40年代に建てた家に現在もそのまま住んでいる顧客もいると言う。「細田工務店の家は中古でも安心だ」と評価され、現在では分譲住宅、注文住宅の建築事業のほか、リフォーム事業にも乗り出している。
※プレカット工法:住宅建築の木工事部分について、現場施工前に工場などで原材料を切断・加工すること(細田工務店ホームページより)
細田工務店は、本業のかたわら、地域貢献にもひとかたならず力を入れている。
「地域と組んでプラスになることを生み出し、地域を生まれ変わらせたい」と、本社1階の接客スペースを「リボン館」として活用している。すぎなみ地域大学やすぎなみ大人塾の講座、音楽や朗読劇の公演、展示会など、地元・杉並と関わりのある団体が利用し、2014(平成26)年度は36のイベントが開催された。「リボン館」の名前は“reborn=(精神的に)再生する、生まれ変わる”にちなんで付けられたもので、細田工務店の地域活動への思いが伝わるネーミングである。
毎年、夏に行われる「阿佐谷七夕まつり」には会社全体で参加し、秋に開催される「阿佐谷ジャズストリート」では、本社をパブリック会場として提供。また、小学生のための木工体験、地元小学校への出張授業や本社ロビーを障がい者支援会場とした10年以上にわたる活動が評価され、杉並区より「子育て優良事業者」「障害者自立支援功労者」として表彰されている。
これら一連の活動から阿部さんが得たものは何だろうか。
「杉並区には熱意にあふれた多彩な人材がいるといつも感じています。人と人との交流がもっとあって良いと思う。そのために、我が社にも何かできるのではないかと考えてきました。杉並には、いいもの、普通のもの、変なものの組み合わせすべてを、排除するのではなく共生させる、受け入れる要素があると思います。住む人にとって価値のある暮らしができる街として、若い人が子育てのできる街、高齢者も快適に暮らせる街にしたいと強く思うようになりました。」
阿部さんが入社したのは1975(昭和50)年。住宅建築が量産化へと移行する時代、20代の阿部さんが現場で目にしたのは、もともと大工だった父が木を1本1本手に取り吟味する姿だった。そんな父の木と住まいづくりへのこだわりは、今も木造住宅100パーセントを掲げる細田工務店に受け継がれている。
阿部さんは50代から60代にかけ、会社を離れた時期があったと言う。「それまでの生き方を見つめ直す出来事があり、命とは何か、を考え始めたのがきっかけです。」命、水、農業、東洋医学、さらに循環型社会と自然治癒力へと興味が膨らみ、1997(平成9)年、50歳で細田工務店をいったん退職した。翌年には、環境浄化装置を開発販売する会社を設立。ホテルや百貨店、放送局などの水処理を引き受け、天然素材の石鹸なども商品化した。
自らの暮らしも変えてみようと、自然と共生して暮らせる土地を探し、2007(平成19)年、大磯に移住する。「大磯は周りに畑もたくさん残っており、海も近い。60歳で移住したのは、畑仕事と魚を獲ることで自給自足の暮らしをすることが目的でした。」
2010(平成22)年、社内外からの要望に応えて13年ぶりに細田工務店に復帰、社長として陣頭指揮をとることとなった。
「13年間の命と水に関連する仕事によって得た経験は、細田工務店が住宅を通じてお客様に提供する“暮らし価値の創造”というコンセプトに活かすことができました。また、個人の理想と経営のギャップを埋めるために私自身も変わっていかなければならないと考えるようになりましたね。」
細田工務店の創業時からの理念は、「良い材料、良い施工、良いアフター」。阿部さんはそれを踏襲するだけでは満足しない。「細田工務店は木造住宅建築の業界の中で一番“良い家”を作る会社だと言われたい」と飽くなき理想を語る。
では、“良い家”とはどんな家だろうか。地震やヒートショックに強いことはもちろん、「これからは湿度対策や良質な睡眠を得られるなど、より健康的な暮らしができる家を提供することが必要になってくる。」と阿部さんは断言する。さらに、景観や構造、間取りなどのハード面だけでなく、「そこで暮らす人々が生きていることを実感できる家、より幸福になるための家だ」と言う。どうやら阿部さんの大磯での暮らしが強く影響しているようだ。
最後に、杉並をこよなく愛する阿部さんは、「世界中の人がぜひ杉並に住みたいという街にしたい」と熱く語ってくれた。