気象神社は戦前、旧陸軍の施設である陸軍気象部(かつての馬橋4丁目、現在の高円寺北4丁目)の構内にあった。現在は、高円寺駅からほど近い高円寺氷川神社内に末社として祀(まつ)られている。宮司の松井美加子さんから借用した『陸軍気象史』によると、最初の社殿は1944(昭和19)年に、陸軍気象部の正門を入った右手に竣功(しゅんこう)されたとある。その翌年、4月13日の空襲で焼失するが、終戦直前に再建。現在の社殿は2003(平成15)年に立て直されたもので3代目にあたる。
気象神社という名は、陸軍気象部にあった時代からの名称である。そもそもなぜ軍事施設に神社が建立されたのだろうか?『陸軍気象史』によると、当時の陸軍気象部の研究は、さまざまな局面を想定した高層気象観測や気象判断等に及び、科学的でかなり高度な内容だった。一方、前線での気象予報は、情報不足もあり不完全であった。気象学の理論と現実との間に大きなギャップがある状況下で、「精神的な拠り所となることを目的に建てられたのではないか」と書かれている。
同社は、戦後1948(昭和23)年9月23日に陸軍より払い下げとなった。馬橋にあったのに馬橋稲荷神社ではなく高円寺氷川神社に遷座(※)された理由について、故山本雅道前宮司は「当初、馬橋稲荷神社に引き取られたが、当時の故山本実宮司と馬橋稲荷神社の宮司が話し合った結果、高円寺氷川神社に移設し、当局に申請して正式に払い受けたと聞いている。」と語った。何とも数奇な運命である。
気象神社の例大祭は、気象記念日である6月1日だ。例大祭には、氏子総代、崇敬者、気象関係者等が参列する。
※ 遷座(せんざ):神仏の座をほかの場所へ移すこと
『陸軍気象史』陸軍気象史刊行会