荻窪駅北口から徒歩7分。青梅街道に映える柔らかな半透明のガラスが、内部の動きを影絵のように描き出す。端正な外観は通行人の目を引くが、「新たな街の常夜灯」という設計時のイメージどおり、違和感なく地域に溶けこんでいる。
杉並公会堂がオープンしたのは1957 (昭和32)年。音響の良さ、客席数1,176席というスケールから、当時最先端のホールとして「東洋一の音楽の殿堂」の別名で知られた。1994(平成6)年には杉並区が日本フィルハーモニー交響楽団と友好提携を締結、日本を代表するオーケストラの文化発信基地としてもその存在を名高いものとした。
現在の公会堂は、2003(平成15)年に旧公会堂を取り壊して改築、2006(平成18)年6月1日にリニューアルオープンしたものである。国内初のPFI(※1)事業で建設された公共ホールとして注目を集める一方、2010(平成22)年には公共建築賞優秀賞を受賞するなど、洗練されたデザインも高い評価を受けている。
建築に際してのテーマは「光と風のハーモニー」。1階のカフェと中庭には光が降り注ぎ、外の喧噪(けんそう)とは無縁の穏やかな空気に包まれる。また、さまざまな色のミラーと点滅するLEDで彩られる中庭のアートなど、来館者を建物全体で楽しませようとする工夫が細部にも及ぶ。
ホールは、優れた音響環境に加え、残響可変装置をはじめとする機器など、「日本フィルハーモニー交響楽団のフランチャイズホール」の肩書にふさわしく充実した設備。ピアノはスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインと、世界三大名器がそろう。そのかたわら、杉並区の成人式、入学式や卒業式といった行事に対しても、広く門戸が開かれている。「おかげさまで、旧杉並公会堂と同様に地域の皆様から愛され、すっかり荻窪の地に溶け込んだホールとなりました。これからも、杉並区の文化発信拠点として、皆さんとたくさんの歴史を刻み続けてまいります。」と言う菊地一浩館長(当時)の言葉は、運営やサービスでも充実の時を迎えていることをうかがわせる。ハード・ソフト面、共に杉並区民の財産としてふさわしい建築物である。
2023(令和5)年11月、染谷館長の案内で杉並公会堂大ホールのバックヤードを見学する機会を得た(※2)。
大ホールの舞台袖には音響装置などが並び、スタッフが手際よくリハーサルの準備を進めていた。舞台上手側には、世界中の一流ピアニストも愛用するスタインウェイのD-274が格納されたピアノ庫がある。「学校の発表会にも、このピアノを使うんですよ」と染谷館長。
舞台に上がると、優しいフォルムと色合いの客席が見渡せ、ホール全体に包まれる感覚が湧いてきた。「杉並公会堂は、アコースティック音楽に適した作りのホールです。壁の造作はもちろん、観客席の椅子の厚さなどまで、一番いい音響を作り出すために計算して設計されています」
専用の楽屋が8つあり、普段は指揮者の控室になることが多いというシャワーブース付きの小楽屋の一つは、2009(平成21)年に当時の皇后さまがご来館の際に使用されたこともあったという。この楽屋からは1階のカフェの出前を頼むことも可能だ。
オペレーターのみが入室可の4階は、調光室や音響調整室などがある照明と音響の心臓部。調光室から見下ろすと、舞台がはるかかなたにあるように感じられた。サイドライト投光デッキの床には、緊急時の避難経路用の階段に続く扉があった。
ホールの音の響きを体感するべく、当日夜にコンサートのあった「藤岡幸夫プロデュース 弦楽四重奏団 The 4 Players Tokyo」のリハーサルも特別に見学させてもらった。会場全体に響きわたる、胸に染みるような深みのある音色に圧倒された。プロデューサーの藤岡さんは「最初、大ホールはカルテットには大きすぎるのではないかという懸念もありましたが、このホールではまるでオーケストラのような響きが実現しています」と話す。観客に良い音を届けるため、演奏する位置決めに細心の注意を払っているそうだ。演奏者の一人が「例えばチェロは、床に梁があるところに楽器をセットすると、響きが大きく変わるんですよ」と教えてくれた。
染谷館長は「舞台の無垢の床板に楽器を置いた時にできた穴には、杉並公会堂のリニューアルからの18年分の歴史があります。床板を削っただけで音質が変わる。その後は、また新しい音を積み上げていくことになるでしょう」と語る。杉並公会堂に関わる人々によって、ホールの音響が日々磨かれていることを肌で感じた。
※1 PFI:Private Finance Initiativeの略。公共施設などの建設、維持管理、運営等を、民間の資金や能力を活用して行う手法
※2 杉並公会堂のバックヤードは一般公開していません