扇子と言えば、暑い夏にはバッグにしのばせている人も多いのではないだろうか。もともとは中国での呼び名だそうだが、平安時代に木の薄板を糸でとじたものが日本で考案され、後に紙扇(かみおうぎ)が発明された。身分や用途に応じて日本独自の変遷をたどり、儀礼や芸能に欠かせない現在の扇子の形になったという。こうして長く日本人に親しまれてきた扇子だが、どこで誰がどのように作っているのだろうか。扇師の工房を訪ねた。
杉並区宮前に、江戸扇子を受注制作・販売する東京扇子 順扇堂(じゅんせんどう)がある。内田順久(よしひさ)さんが1960(昭和35)年に創業し、娘・鈴木香代子さんが二代目を継ぐ50年以上続く老舗だ。江戸扇子とはどんなものなのだろうか。
「京扇子が“雅(みやび)の京都”をそのまま扇子に反映しているのに対して、江戸扇子は紙が厚く、折り幅が広く骨の数も少なめ、どっしりと丈夫でかつ粋な作りが特徴です」と香代子さんは語る。また、江戸扇子はすべての工程を一つの工房で行っており、分業制の京扇子と対照的だという。最近では、扇の骨の部分は加工済みのものを仕入れて使っているが、紙の成型から組み立てまで一貫して仕上げる江戸扇子の出来ばえは、工房の扇師の技とセンスにかかっていると言えそうだ。
絵付けは専門の絵師が行う。折り山がある扇子は絵に陰影が出やすく、扇子独特の末広がりの形に合うように描くのは熟練の技が必要だ。一方で、最近はパソコンを使って絵柄を描く手法も盛んに行われるようになった。細かい絵柄の調整や豊富な色が選択できる扱いやすさに加え、大量生産も可能なことから主流になりつつある。香代子さんもパソコンを使って絵付けの作業をするようになったが、絵柄は扇子の重要な部分だけに細心の注意を払っている。「微妙なボカシが、今年の私のテーマです」
実は香代子さんは、扇師になるつもりはなかったという。「扇子作りは、男仕事」と順久さんに言われていたからかもしれないが、女性は補助的な仕事しか任されないことに反発もあった。女子美術大学短期大学部の生活デザイン教室を卒業し、陶芸教室に就職した。その後仕事から離れたが、子育てが一段落したころ、遠巻きに見ていた「男仕事」がにわかに「いい仕事」に見えた。この時は家でできる「ちょうどいい仕事」というふうに思い付きで考えていたが、順久さんから了解をもらい、2000(平成12)年に修業を始めた。扇師の技は手で覚えていくしかないが、順久さんの扇師としての背中を見て育ったからだろうか、どこか見覚えのある作業や聞き覚えのある専門用語が体に染み付いていて、扇子自体と紙の感触が好きな自分に気づいた。最初に作った扇子が思いがけずディスプレイ用にと買われ、これで覚悟を決めた。「扇師でやっていこう」。今は相応の手応えがあり、いい仕事をすればそれがそのまま評価される扇師の仕事にやりがいを感じるという。
一方、順久さんはさまざまな「発明品」で香代子さんを支えた。例えば、扇子の地紙(※)の余分な部分や親骨(※)の突き出た部分を切り取る装置は、順久さんの手作りである。いずれも手作業ではかなりの重労働だ。二重になっている地紙の縁を開いて中骨(※)を差し込む作業も、エアコンプレッサーを使った装置のおかげで簡単になった。扇子作りの重労働から少しでも娘の負担を減らしたいという、順久さんの親心がにじむ装置類だ。
思い返すと扇師への道は整っていた気がすると、香代子さんは言う。扇師の父と洋服の仕立てもする母の姿を見て育ち、物作りが身近にあった。「手作りするのが当然の環境だった」。ある日、ふとひらめいた「いい仕事」は、「天職」だったのだろう。
※地紙、親骨、中骨は、写真2枚目(扇子の写真)を参照
扇子作りが重労働であることは順久さんにとって会心の「発明品」である装置類を見ればうなずけるが、香代子さんは不思議に思うこともある。「もっと主体的に女性が扇子作りをするといいのに」。女性の扇師がいた時代もあったようだが、現在は周りを見回しても女性の扇師はあまりいない。デザインの感性は女性のほうが敏感でないかと思うし、客も女性が多く要望も取り入れやすい。パソコンや作業を軽減するいろいろな装置もできた今、女性が積極的に取り組む価値のある仕事ではないかと考えている。
香代子さんは扇子作りの体験教室や、学校やイベントでのワークショップを盛んに行っている。こうした楽しい体験を通して「扇子に関心をもち、身近に感じてほしい」と思う。過去の陶芸教室での細やかな指導経験が、扇子の体験教室でも役に立っている。時には「投扇興」(とうせんきょう)というお座敷遊びを行う。これは桐(きり)の「台」の上に載せた「蝶(ちょう)」と呼ばれる銀杏(いちょう)型の的を、「投扇」という専用の扇子を投げて落とし、点数を競うものだ。扇子が舞う光景は優雅だが、うまく当てるのはなかなか難しい。落とし方次第で点数が決まる和式ダーツのようなこの競技は、イベントを盛り上げ扇子への新たな関心につながっているようだ。
現在、日本の扇子業界は中国製品に押され気味になり、特に東京には扇師の組合もなく経営は厳しい。だが、両親の働く姿を見続けた香代子さんの「父と母のやってきたことを残したい」という思いは強い。
そのための、新しい取り組みもしている。2017(平成29)年からホームページを一新し、世界に向けて発信を始めた。最近は外国人の日本文化への関心も高い。2020年には東京オリンピック・パラリンピックがある。「おもてなし」に使えるかもしれない。杉並区のアニメキャラクター“なみすけ”を絵柄にしても面白いだろう。夢は広がるが、「世界進出前に日本人にも扇子のことを忘れてほしくない」という思いは変わらない。
最近の客層は、古典的で少々の汚れやかすれを「扇子の経年の味わい」と好む客と、さっぱりとした美しさを好む客に大きく二分される。時代に合わせて、どちらの要望にも応えていきたいと香代子さんは話す。次女・由香里さんが今年から本格的に制作に加わることになり、これでパソコン対応は万全、なにより「絵師としても感性がいい」と香代子さんは期待する。香代子さんの従弟も、扇師として二人を支えてくれる。順扇堂の将来は、盤石なようだ。
『日本大百科全書』(小学館)
『日本国語大辞典』(小学館)